園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2023年 5月

互いに愛し合う             園長 佐竹 和平

 ある音楽関係の方のお話で、子どもの音域がどんどん狭くなっているのだと。高音が出ないのだと。で、この理由が乳児、子どもの時から大きな声でたくさん泣いてないからなのだと。

 子ども、特に言語を発しない乳児は泣くことによって自分の思いを伝えます。特に親にむかってその思いを泣いて伝えます。親の対応が自分の要望と違っていると高音、低音と泣き方を変え、時には手足を動かして泣く。ここに乳児の試行錯誤があり、ある種の言葉の芽生えがあるのかと思われます。がんばって泣かないと思いが伝わらないので周囲の環境とかに関係無く、相手に思いを伝えるために泣く。泣くには酸素をたくさん取り入れないといけないので、肺活量も増えていくし、手足を動かせば運動にもなっている。泣くという行為は乳児にはとても大切な行為、成長の糧のようです。これは言葉を少しずつ獲得していっている幼児、小児にも同じように大切なことで、声を出して泣く行為をしているということは表現の訓練もしていることになるのかと思います。

 さて、子どもにとって大切なこの泣くという行為が社会の中で迷惑なものとされる風潮は昔からあるものです。しかし、感覚としてはインターネット、いわゆるソーシャルメヂィアの普及などと相まってか、人が迷惑に思うようなことはできるだけしないようにする。人を不快にしないようにして生きていくことが求められるような社会になってきてしまった感があります。人に対して不寛容、自分を不快にさせる、自分の権利を侵害されることを許せない人が増えているようでもあります。結果、親は子どもがなるべく泣かないように様々な工夫をしなければならなくなり、子どもの泣く回数、泣く量が減ってきている。乳児、子どもの成長にとって、大切な泣くという行為が、結果として社会のなかで抑制されているとは、なんとも残念でならない。

 「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」これはイエスキリストが私たちに発した大切な掟のひとつです。キリスト教保育とは、互いに愛し合うことの大切さを子どもたちに伝えることです。幼子が成長し、社会にあって、互いに愛しあう社会の形成に参画する者を育てるのがその目的とも言えるほどです。互いに愛し合う。それは相手のことを大切に思うこと、認めること、理解しようとすること、許せる(赦せる)こと。争いや憎しみ、恨みを望まない生き方。共に喜び、共に悲しみ、助け合い、共に生きること。日常の乳児の泣き声を不快なものと感じないこと、喜べること。

 このような社会にあって、キリスト教保育のこの価値観、「互いに愛し合う」がとても大切なものだと改めて思わされます。