キリスト教保育の願い 5) 園長 佐 竹 和 平
8月にキリスト教保育連盟神奈川部会の研修会が横浜にある捜真学院で行われ、全教職員で参加させていただいた。午前中は礼拝と幼稚園教育要領の「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」についての学びの時が与えられ、午後は5名程度のグループに分かれて話し合いの時がもたれた。私の割り当てられた園長のグループの中で、ある園長がこのような発言をされて、その討議の口火をきりました。
「わたしたちは“一人ひとりを大切にする保育”をしているでしょうか」
“一人ひとりを大切にする”という表現はキリスト教主義の保育施設に限らずに使われている表現です。わたしたちは“大切にする”の意味をもう一度再確認しなければならないとの思いを提起してくださったようです。
わたしたちキリスト教保育が考える“大切にする”とは“愛する”ということです。子どもは神様から命を与えられ愛されているかけがえのない存在です。子ども一人ひとりの存在をどこまでも愛し続ける必要を改めて教えてくださったのでした。
イエス・キリストは子どもを祝福し抱き上げました。
親子の間で悲しい事件を耳にすることもあります。
キリスト教保育が保護者のみならず地域社会の中にあって子どもを愛すること、子育ての喜びを表して行かなければなりません。
はきだめに えんど豆咲き 泥池から 蓮の花が育つ
人皆に 美しき種あり 明日 何が咲くか (安積得也)
これは息子の通っていたキリスト教主義の高校内にある石碑に記されていた「明日」という詩です。神様は一人ひとりに美しい種を与えてくださっており、美しい花、素敵な実を咲かせてくださる。そのときを喜びと期待をもって待ちましょう。といった意味になるでしょうか。
子どもを愛すること、子育ての喜びが現れている素敵な詩です。
今月もキリスト教保育連盟によるキリスト教保育のねらいを紹介します。
5)子どもが、自然や世界を神による恵みとして受け止め、
関心を持ち、自分たちのできることを考え、行うようになる。
自然や世界、動植物の命の源を神様の恵みであるという価値観は純粋な心を持った幼児期にこそ身につけて欲しいとの思いがあります。神様の恵みに感謝した上で、その恵みを守るために、育てるために何が出来るか、人間の使命のようなものまで考えて、行動ができるようになって欲しいという願いです。とてもスケールの大きなキリスト教保育の願いです。