園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2020年 3月

聖句暗唱                 園長 佐 竹 和 平 

 幼稚園の毎朝の礼拝では月ごとに示されている聖書の言葉をみんなで声をそろえて言うのです。聖句を暗唱して声に出しますので、これを聖句暗唱といいます。この一年の聖句をお子さんと一緒に、読み返しいただければと思います。

4月 わたしは よみがえりです いのちです

5月 いつまでも のこるものは しんこうと きぼうと あいです

6月 みよ わたしはあたらしいことをする いま もうそれがおころうとしている

7月 ひかりの こどもらしくて あゆみなさい

8月 あなたのりんじんを あなたじしんのように あいせよ

9月 わたしたちは たがいに あいしあいましょう

10月 たねをまくひとは みことばをまくのです

11月 へいわをつくるものは さいわいです

12月 きょうダビデのまちで あなたがたのために すくいぬしが おうまれになりました

1月 しゅは あなたを まもるかた

2月 かみは よろこんで あたえるひとを あいしてくださいます

3月 あいは けっして たえることが ありません

 『イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで子どもたちが育てられ、今の時を喜びと感謝をもって生き、そのことによって生涯にわたる生き方の基礎を培い、共に生きる社会と世界をつくる自律な人間として育っていって欲しい』

このような願いがキリスト教保育の子ども観です。毎日の聖句暗唱で、この思いが少しずつ、子どもたちの心と体に行き渡っていったと信じています。

 2019年度の幼稚園生活も終わりが近くなってきました。年長のほし組は幼稚園を卒業し、4月からは小学校へ進学します。年少、年中は進級となりそれぞれ新しい環境の中での幼稚園生活となります。新型コロナウイルスの流行に伴う生活や健康の不安がありますが、どのような環境の中にあっても、神様の祝福とお守りが必ずありますから希望を持って過ごしていきましょう。

2020年 2月

自分で決める                園長 佐 竹 和 平 

 「朝、園長の私が門の前いて、子どもたち、保護者のみなさんにあいさつをしますが、そのときに保護者の皆さんは子どもにどもにあいさつしなさいと言わないでください」

 以前、保護者の皆さんを前にこのようなお話をしたことがあり、驚かれたことがあります。あいさつをすることは人と人とが認め合うことですからとても大切なものです。とても大切なものだからこそ、人(親)に言われたからするのではなく、自分自身の意思であいさつができるといいと思っているからです。あいさつの大切さ、あいさつをするように導くのは教育的にも行なわれるべきですが、「ほら、あいさつをしなさい!」とか「おはようは!?」「園長におはようって言いなさい!」のような言葉がけによって「おはよう」の言葉が出ても、本当のあいさつにはならないからです。

 ボランティアという言葉があります。福祉施設での活動や災害時の復旧などに活動する人が増えてきています。このボランティア(Volunteer)の語源は「自由な意思」という意味なのだそうです。人から言われてするものではなく、自分自身の決定によりするものということになります。そして、この最初の「ボラ」というのは火山(Volcano)のvolに由来しているそうです。火山のように心の中から爆発するような思いで活動するのがボランティアということになります。

 人間の行動はその多くは自分自身の決定、自分自身の意思で行なわれるものです。もちろん、親や大人が子どもにとって何が必要か不要かを選ぶべきものもあります。しかし、子ども自身が選べる物は可能な限り、子どもに選ばせてあげたいと思います。子ども自身が自分の意思で決めることを尊重してあげたいと思います。あいさつをする私がいて、あいさつをしない私がいる。どちらの私を選ぶようになるのか。この人にはあいさつをするか、しないか。自分で判断するのです。自分自身で判断したら、元気な声で自分からあいさつ出来るようになるのだと思います。今できないとしても、自分自身の意思を尊重してくれる大人が周りにいれば、きっと、いつか素敵なあいさつ、火山のように心の発露となるようなあいさつをするようになります。あせらずにそのときを待ちましょう。

  さて、今月のカリキュラムのテーマは「協力する」となっています。人は一人では生きてはいけません。人と人とがコミュニケーションを取り合い、同じ目的を共有しつつ協力し合いながら生きています。幼児期のこの時期に「協力する」ことの大切さを感じてもらいたいとの願いがあります。幼稚園での集団活動、クラス活動の中で協力して何かを成し遂げる喜び、うれしさ、気持ちよさを感ることがたくさんできる幼稚園生活が導かれるようにしていきます。

2020年 1月

環境を造る              園長 佐 竹 和 平 

 

 園だよりの毎月のカリキュラムの中にある【願い】とは、このような経験を子どもたちにしてもらいたいという願いであり、教師はこの願いが叶えられるような環境を造っていく必要があります。「環境」というのは幼児教育における重要な用語で、文部科学省の定める幼稚園教育要領には「幼児教育は幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うもの」と示されています。ここで言う「環境」とはその子の周りにあるもの全てです。園庭ではブランコやすべり台などの備え付けの遊具、スクーターやシャベルなどの遊具、砂場、土、水、木、花、動物、太陽、霜柱や氷・・・。 室内ではピアノ、机、おもちゃ、壁面、絵の具、クレヨン、ねんど、絵本・・・。環境の中には人(友だち、異年齢の子ども、保護者、教師)も含まれます。かけっこ、歌、礼拝、お弁当なども幼児教育の中では環境です。

 カリキュラムに関わらず教師はその日、そのクラス、その季節、その気候を考慮し、子どもが育っていく過程において必要な体験ができるような環境を造ることを心がけていますが、その月、その時期にあったものとして月ごとの「願い」があり、1月は下記の4つが示されています。

  • エスさまのなさったわざやたとえ話を聞く中でイエスさまを身近に感じる。
  • 好きな遊びを心ゆくまで楽しみ、ものごとや深く関わることが面白くなり、それが喜びとなる。
  • 健康な生活をするために、必要なことを自分からする。
  • 伝承遊びを楽しみ、ことばや数を遊びの中で使うことが面白くなる。

 さて、これらの願いを子どもたちに経験させるために、どのような環境が造られていくのでしょうか。①は合同礼拝で語られる聖書の話となるでしょうか。子どもの話を聞く力も求められますね。②は継続して遊び込める環境が求められます。時間的制約により分断されることがあっても、精神的、物質的な継続でカバーできると良いですね。朝の自由遊びの時間を大切にしたいですね。③は特に冬の時期には大切です。うがい、手洗いを習慣化すること。着る物を自分で調整できるようになることも大事です。④はお正月遊びのかるたやすごろくで遊ぶことを通じて言葉や数に親しみます。

 さて、三学期がはじまりました。今年の幼稚園の年間の保育日数は197日。内訳は一学期が71日、二学期が75日、三学期が51日となっていて三学期は一番短いのです。一日、一日を大切に、子どもたちの園生活が楽しいもの、有意義なものとなるよう教職員一同力をあわせてまいります。

2019年 12月

クリスマスの喜び            園長 佐 竹 和 平 

 4月から始まった今年度の幼稚園生活も8か月が過ぎ、まもなく2学期の終了となります。行事も多く、様々な経験を通して成長が導かれた2学期でもありました。幼稚園の生活でいつの間にかできることが多くなっている子どもたちの姿を見かけることができるこの時期でもあります。そのできることを「見て、見て~」と言ってくる姿も多くあります。

 

 幼稚園の大きな行事でもあるクリスマスに向けての園児の活動が始まりました。。クリスマスは神が私たちに下さった最高のプレゼントであるイエスの誕生を喜びあう時期です。それと同時に神がイエスを通じて世の人々に伝えたかったことを多くの人に伝えて行くときでもあります。なぜ、神は自らの子としてイエスをこの世に贈ったのでしょうか。それは、神ご自身が造った世界に住む人々の心が荒れすさんでいるのを悲しみ、イエスが救い主となって世の中を良くできると神が考えたからです。

 

 幼稚園のクリスマスでは全園児でイエスのお生まれになった時のことを劇にしたページェント「最初のクリスマス」を演じます。ページェントではまず、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、マリアが神の子を生むことになると告げます。マリアは驚きましたがそのお告げを受け止めるのでした。マリアと夫のヨセフは人口調査を受けるために、産まれ故郷のベツレヘムの町に行きます。しかし、どこの宿屋も満員でした。ある宿屋が、馬小屋でよければ泊まれますよと案内してくれました。その馬小屋で神の子イエスが生まれたのでした。たくさんの星が神の子イエスの誕生をお祝いします。神の使いである天使に教えられ羊飼いがお祝いにやってきます。導きの星を頼りに東の国の博士たちはらくだに乗ってやってきます。博士たちは持ってきた宝物をおささげしました。馬小屋の前にはたくさんの羊たちもやってきて、お祝いします。最後にみんなで「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」を賛美して終了となります。この劇の進行はナレーターと聖歌隊の歌によって進んでいきます。

 

 ドレーパー記念幼稚園では設立された年からずっとクリスマスにはページェントが全園児によって行われてきています。全園児一人ひとりに役割があり、その一つひとつの役割を大切なものとしてきました。どんな役でも、どんな子どもでも一人ひとりが大切だというメッセージでもあります。虐待やいじめ、貧困のなかで悲しく、辛い思いをしている子どもが社会には多くいます。一人ひとりが大切な存在です。救い主イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と話されました。クリスマスのこの時期、一人ひとりを大切な存在としたイエスのこの言葉を改めて胸に刻みたいと思います。そして、一人ひとりの子どもの幸せを、みんなで祈りたいと思います。

2019年 11月

共感する             園長 佐 竹 和 平 

「せんせい~じゃんけんしよう~。ぼく、チョキだすからせんせい、グーだして~!」 と、今年の子どもとのじゃけん遊びはちょっと変わったものになっています。このまま素直に私がグーを出すと、子どもはチョキではなく、パーを出して園長に勝って喜ぶというもの。単に勝ち負けを決めるのではなく、会話を楽しむじゃんけんです。年長さんを相手にするときは、更に発展させ・・「エンチョーがグーを出したら、○○くんはきっとチョキじゃなくてパーを出してくるから、エンチョーはチョキを出して勝とう!」と小さい声で言うと・・ちゃんとそれを踏まえて子どもはグーを出してきて、園長に勝って喜ぶというものです。

 じゃんけんはとても簡単な遊びですが、この遊びができるようになるには様々な能力が必要です。グー、チョキ、パーを手で作れること。「じゃんけんぽーん」のリズムに合わせて相手と同時にその手を出せること。そして、グー、チョキ、パーの力関係が瞬時に解るようになること。幼稚園入園前の子にはじゃんけんはできません。幼稚園での活動を通じて、じゃんけんができるようになっていくのです。手遊びや工作で手を自由に手を動かせるようになり、歌や楽器演奏を通じてリズム感を得る。グー、チョキ、パーの力関係を理解するには、なぜだろう?どうしてだろう?を何度も経験して培う思考力と判断力が必要です。じゃんけん遊びには子どもたちの成長の姿が現れてもいるのです。

 さて、11月のカリキュラムのテーマは「共感する」となっています。共感とは、辞書によると「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。」とあります。

  赤ちゃんはお腹が空いておっぱいが欲しいときやオムツが濡れ不快なときに泣きます。親が疲れていようが、眠かろうがお構いなし。自分の欲求を満たすため、生きていくために泣きます。親はそのことに気づき(共感)、おっぱいをあげたり、オムツを替えます。赤ちゃんは共感してもらい、欲求が満たされて満足し、幸せになります。もし、親が赤ちゃんの欲求に共感できない、気付くことができなかったとしたらどうなるでしょうか。赤ちゃんは自分自身の存在を認められず悲しい時を過ごすことになります。

 幼児期、学童期に限らず大人でも人に共感してもらうことによって自分自身の存在を良いものとして受け止めるようになるのです。子どもによっては親が理解に苦しむような欲求を持っていてして、にわかに共感できないことも出てきます。「なんでこんなことするの?」「なんでこんなもの欲しがるの?」「なんでこうしないの?」。しかし、子どもは共感して欲しい、わかって欲しいと思っているのです。子どもの思い、考えをくみ取り、共感することによって、子どもに幸せ、満足感を与えられるようにしていきましょう。

2019年 10月

よごれて洗って・・                  園長 佐 竹 和 平 

 幼稚園教育要領に示されている「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」は3つの力に分類することが出来るようです。

体を使う力 

「健康な心と体」「自然との関わり・生命尊重」「豊かな感性と表現」

考える力 

「思考力の芽生え」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」

人と関わる力 

「協同性」「道徳性・規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「言葉による伝え合い」

 これらの力が育まれ、発揮されるのが幼稚園の運動会です。例えば年長さんのリレーは「健康な心と体」だけではなく、勝つためには「思考力の芽生え」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「協同性」「言葉による伝え合い」が必要ですし、勝ったり、負けたりする中では「道徳性・規範意識の芽生え」が育まれます。

 運動会を通じて一人ではできないこと、みんながいて、協力しあうからできることを楽しめるようにもなります。運動会を終えて、見せること、見てもらうことの楽しさ知った子どもたちの姿があります。友だちと一緒に遊ぶことの楽しさを知った子どもたちの姿もあります。その楽しさを味わうために自分の気持ちや考えを相手に伝えます。思いが通じるときもあれば、通じない時もあります。集団での毎日の生活の中でこうした経験を積み重ねていくことで、生きる力、人生の土台が培われていきます。

 「よごれて洗って よごれて洗って。 いい感じになりなさい。」久しぶりに良い言葉に出会った感じです。「もう、ぬげない」「ぼくのニセモノをつくるには」「おしっこちょっぴりもれたろう」「それしかないわけないでしょう」などの絵本で人気のヨシタケシンスケさんのエッセイ本に載っていた言葉です。

 子どもを見ていると、よごれたがる姿が多くあります。しかし、大人(保護者)は子どもがよごれるのを嫌がります。洗わないといけないからです。「よごれる」ことは成長段階の子どもにとってはとても大切です。よごれたら洗う。よごれたら洗う。これが子どもの成長、子育てなのかもしれません。毎回、大人が洗うわけではありません。自分自身で洗うこともたくさんあります。大人からみれば失敗に見えることも、子ども自身にとっては挑戦の結果かもしれません。いい感じに成長させるためにも、親の顔色をうかがって、よごれること(挑戦すること)をしなくなるような子ども時代を過ごさせないようにしたいものです。子ども自身の持っている「やってみたい!」という気持ちを大切にしましょう。やってみて、失敗し、よごれたって洗えばよいだけなのですから。

2019年 9月 やってみたい

やってみたい                      園長 佐 竹 和 平 

 この度、学研より「佐竹音次郎物語~万人の父になる~」という本が出版されました。佐竹音次郎というのは私の曾祖父です。今から120年余り前、私の曽祖父、佐竹音次郎は鎌倉の腰越で小児科医院を開院していました。時代や土地柄というものがあったのか、いつしか孤児を受け入れ、その数が増えていく中で、自分が父親となってその子どもらを育て、共に生活をしていくことにしたのです。自分が父親なのだから、この子どもらはもう孤児ではない。そのような思いから当時一般的に使われていた孤児院という名称を使わずに保育院と名乗ったのです。「保育」という言葉は佐竹音次郎の造語で“保(やすん)じて育つ”ということ。保じてとは安心してという意味です。佐竹音次郎はその後、キリスト教と出会います。その教え、人を分け隔て無く愛することの大切さを自分自身の行いによって広めていこうとの決意を持って、医業の傍らで行っていた保育院を改め、「保育園」として、本格的に福祉事業に取り組み、身寄りの無い子どもたちの父としてその生涯を送ることにしたのです。保育園とは子どもたちが保んじて育つ、神様から備えられた園というという名称で、これが日本で最初の保育園となりました。佐竹音次郎が存命中に関わった子どもたちの数は、国内外で1万人を超え、11,153人にもなったのでした。現在、佐竹音次郎の出身地である高知県四万十市では佐竹音次郎を「保育の父」として顕彰し、その思いを子どもたち、地域社会に伝えようと活動をされている方たちがおられます。

http://otojiro.link/

 

ニュースでは虐待によって幼い命が奪われたとの報道が後を絶ちません。また、戦争によって生活の不安が脅かされている人々や貧困によって安心して暮らすことが出来ない子どもたちはたくさんいます。子どもが育つ環境、保育において安心は何よりも大切なことです。安心して食べられる、安心して眠れる、安心して遊べる。親、大人、地域社会、国家がこのような安心を全ての子どもに備えなければならないと改めて思わされます。

さて、今月のカリキュラムのテーマは“やってみたい”となっています。子どもたちにはやってみたいことがたくさんあります。「えんちょうせんせい、なにやってるの~?」子どもたちから言われることの多い言葉です。私が何か作業をしていると近寄ってきて、その作業をやりたがります。やってみないと気が済まないと言ってもいいかもしれません。子どもにやらせると、時間がかかったり、手間が増えたり、危なかったりします。しかし、子ども自身が持つ、やってみたいという主体的な気持ちは子どもの成長にとってとても大切なものです。子ども自身が持つ“やってみたい”に大人が丁寧に寄り添いつつ日々を過ごせたらと願っています。

 

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