園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2016年 11月 共感

  共感                           園長 佐 竹 和 平 
4月の「安心」から始まり、「気づき(5月)」「関心(6月)」「探求(7月)」「力を合わせて(8月)」「躍動(9月)」「試行錯誤(10月)」と与えられてきたカリキュラムのテーマ。11月のそれは「共感」となっています。幼稚園生活が始まり、不安なことがいっぱいの新入園児、進級して不安な園児もいる4月は「安心」のテーマが与えられていましたが、11月にはそれが「共感」へと変わっていることに、この間の子どもたちの成長を感じます。共感とは、辞書によると「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。」とあります。
赤ちゃんはお腹が空いておっぱいが欲しいと泣きます。オムツが濡れ、重たくなると不快なので泣きます。親が疲れていようが、眠かろうが関係ありません。自分の欲求を満たすため、生きていくために泣きます。おっぱいが飲みたい、オムツを変えて欲しいと私が思って今、泣いていることを分かって欲しいのです。親はそのことに気づき(共感)、その子の欲求を満たために、おっぱいをあげたり、オムツを変えてあげます。子どもは欲求が満たされて満足します。共感してもらうことはうれしいこと、幸せなことです。
人間は共感して欲しいと願って生きています。社会にある全ての物や人の行為は共感を目的にあると言ってもよいほどです。子どもが赤ちゃんのうち、親はその全存在を受け止めて共感しようとします。しかし、成長に伴って子どもに個性が出てきます。好きなもの、嫌いなものが出てきます。共感できないことも出てきます。「なんでこんなことするの?」「なんでこんなもの欲しがるの?」と、親が望まない考えを子どもが持つときもあります。しかし、子どもは共感して欲しい、わかって欲しいと思っているのです。このことを意識して過ごしていきましょうよというのが与えられている11月のテーマ「共感」の意味です。
この時期、子どもたちは園児フェスティバルに向けての活動に取り組んでいます。この催しは数年前から始めたものです。以前は子どもたちの製作物の発表として作品展を行っていました。子どもの作品、特に個人の作品を家族の方に見ていただく催しで、行事としては「個」「静」なるものでした。作品の前には個人の名前を記し、だれが作った物かがわかるようにしていました。園児フェスティバルは、もっと子どもたちのことを知ってもらいたい、幼稚園の生活の中で活き活きとしている様を見てもらいたいとの思いで始めたもので「集団」「動」なる催しです。子どもの動き、コミュニケーションが大切な催しとなっています。作品はたくさんありますが個人の名前は出てきません。自分たちで出し合ったアイデアを共感しあい、仲間と造りあげていく園児フェスティバルです。子どもたちの笑顔がいっぱい見られる一日となるよう願っています。

2016年 10月  試行錯誤

                  園長 佐 竹 和 平 

 まもなく運動会です。幼稚園の行事としては運動会、クリスマス、卒業式と子どもの成長を見ることができる大きな行事の一つです。子どもたちは運動会に向けての取り組みを楽しみながら行っています。教師は子どもたちが楽しんでその取り組みができるよう日々の保育に取り組んでいます。そして、運動会当日です。子ども一人ひとりの運動会に向けての取り組みの成果が出ます。今持っている個性が出ます。良いと思われるところ、好ましくないと思っているところも出ます。子ども同士、子どもと教師、子どもと保護者、更に教師と保護者、保護者同士の日頃の人間関係がさらけ出される日でもあります。

 このように書くと楽しさが半減してしまうでしょうか。そのようなことはありません。速い、遅い。やる、やらない。できる、できない。当日の子どもたちの姿です。全てがさらけ出される中に大いなる学びの機会があるのです。自分の子どもだけでなく、他の子どもの成長を実感し、喜びの時となるのは皆が見ている中で行われる運動会だからです。遅くても、やらなくても、できなくても良いのです。子どもの今をしっかりと見て、今をしっかりと応援してあげたいと思います。
 
 今月のテーマは『試行錯誤』となっています。不思議な四字熟語です。試してみる、失敗するという意味です。この語源は何かと調べたところ、どうやらアメリカの心理学者が「Trial and error」という学習方法に関する学説を打ち立てたその訳語が「試行錯誤」ということらしいのです。一つの課題を解決するために多くの失敗をします。その多くの失敗の中に偶然に成功が現れると、その成功を反復して行うようになるというような説明がありました。私たちが今、行っている動作のすべては試行錯誤の結果、できることになったということのようです。試してみて、失敗する。また試してみて失敗する。その繰り返しを経験する中で失敗が減り、成功が産まれる。私たちは日々、この試行錯誤の中に生きているようです。

 過干渉、過保護の親がいます。子どもが失敗しないようにと考えてしまい、自分が知っているその答えを子どもに教えてしまうことがあります。子どもが試みる前に成功の方法を教えてしまうのです。親が子どもの失敗する機会を奪ってしまうのです。試行錯誤という課程、大切な成長の過程が抜けてしまうのです。失敗は悪いことでなないのです。できないことは悪いことではないのです。試行さえし続けるならば、失敗は成功への課程となるからです。いつか、自分の力で成功します。それが子どもの持つ成長する力なのです。面倒がらずに、子どもの失敗を見守ってあげましょう。恐れずに子どもの失敗を見続けていきましょう。

2016年 9月 躍動

 自分自身の力を信じる、自信というものはどのように芽生えるのかというと、人を信じることから始まるそうです。人とは子どもにとっては親、多くは母親ということになります。いつも私が困ったら助けてくれるお母さん。いつも私を見守ってくれているお母さんがいる。こう信じることが大切なのです。「天笑人語:山北宣久著」に松田明三郎という牧師の書いた「星を動かす少女」という詩が紹介されていました。

 クリスマスのページェントで 日曜学校の上級性たちは 三人の博士 や、牧羊者の群や、マリヤなど、それぞれ人の目につく役をふりあて られたが、一人の少女は 誰も見ていない舞台の背後にかくれて 星 を動かす役があたった。
 「お母さん、私は今夜、星を動かすの。見ていて頂戴ね」
 その夜、堂に満ちた会衆はベツレヘムの星を動かしたものが誰である か気づかなかったけれど、彼女の母だけは知っていた。
 そこに少女の喜びがあった。

少女の純粋さ、与えられた役割をしっかりと演じようとする姿、親子の信頼関係が表現されている詩です。「見ていて頂戴ね」と言われた時の母親の返事を想像してみてください。

 幼稚園は同年齢の子どもとの交わりの生活によって成長が導かれる場です。良い交わりもあれば、あまり好ましくない交わりもあります。たたいたり、たたかれたり、傷つける言葉を言ったり、言われたり、仲良く遊んだり、仲間外れにしたりということもあります。人をたたいてしまった子には、その子なりの理由があるのでしょうから、「人をたたいてはいけません」と叱るだけではその子の本当の気持ち、姿は理解できません。「人をたたいたら痛いでしょ。嫌がられたでしょ、そういうことはしちゃいけないよ。でも、どうしてたたいちゃったの?』と話しかけて初めてその子が次に人をたたかなくなるように導くチャンスが生まれます。一方のたたかれた子はどうでしょう。たたき返す子もいます。口で「たたかないで!」と言う子もいます。たたかれるだけで、何もせず我慢する子もいます。三者三様、それぞれに思いがあります。聞いてほしい、知ってほしい思いがあります。その思いに寄り添ってあげられる人がいることが子どもにとってどんなにか幸せでしょうか。

 9月のカリキュラムのテーマは躍動です。教職員が知恵と力を合わせて、子どもたちがいきいきと活動できる環境を作って行きます。その中にあって、私を見てくれている人、私を知ってくれている人、私をわかってくれる人がいるという安心感を子どもたちに与えられたらと願っています。

2016年 8月 力を合わせて

 8月の園だよりはさながらお泊り保育特集号となっています。お泊り保育での年長の子どもたちの様子を年長の保護者のみならず年少、年中の保護者にも知っていただきたいとの思いもあります。恒例となっていますYMCAプログラムのふじさんぽは今年で7回目となります。今回は雨の中での活動でしたが子どもたちの最後まで楽しもうとするその姿勢は素晴らしかったです。

「もしあなたが、はやく歩きたいならば、ひとりで歩きなさい。けれど も、もしあなたが遠くまで歩きたいならば、誰かと一緒に歩きなさい。」
同志社大学での学生向け礼拝で語られたメッセージ集「すてたもんじゃない 著:越川弘英」の中にアフリカのことわざとして紹介されていたのが上記の言葉です。〝遠くまで歩きたいならば″というのには、一人ではできない困難なこともみんなでやればできるという意味があるようです。雨の降る山の中、一人だったら逃げ出してしまいたくなるような状況でしたが、みんながいたので最後まで楽しめたふじさんぽでの子どもたちのことのようです。また、今回のオリンピックでの陸上男子400メートルリレーでの日本の銀メダル獲得は一人ではできない困難なことを4人の力を合わせて成し遂げた結果でもありました。リレーに限らずみんなの力を合わせて勝ち取ったメダルはいくつかありましたよね。

 さて、お互いが助けあい、励ましあい、協力すれば困難なことをやり遂げられるという大事なメッセージを伝えるための前ふりのようにしてある〝はやく歩きたいなら″という部分にはどんな意味があるのでしょうか。〝遠くまで歩きたいなら″を一人ではできない困難なことと解釈すると〝はやく歩きたいなら″は自分一人でできることとなります。つまり、このアフリカのことわざは「自分一人でできることは人に頼らず自分一人で行いなさい。しかし、自分一人ではできないこともあり、そのようなものはみんなで協力してやりなさい。」というメッセージになります。

 まもなく2学期が始まります。行事の多い学期で、運動会、園児フェスティバル、クリスマスがあります。それぞれの行事はみんなの力を合わせて取り組まなくてはならないものですが、その前提としては自分でできることは自分ですることにあります。行事に取り組む子どもたち一人ひとりの姿を見守りつつ、日々の保育に教職員一同力を合わせてまいります。
 
 保護者の皆様にもご協力いただくこともおおくあります。どうぞよろしくお願いいたします

2016年 7月 探求

 文部科学省では幼稚園教育要領の改善を図るための検討会議を開いています。今の時代、社会の中で子どもたちの成長を導く教育環境を少しでも良くしようとの試みです。その議論の中で幼児期に備えられるかどうかで大人になってからの生活に大きな差を生む大切なものとして取り上げられている「非認知能力」について紹介しておきます。

 小学校では国語、算数、理科、社会などの科目があり、それぞれ学びの中で覚えることがあります。覚えたことを基に問題を解く力も求められます。このような知識や知能のことを「認知能力」といいます。中学、高校、大学もこの認知能力を高めるために勉強する場ということになります。テストや受験などは認知能力を確かめるために行うものです。この認知能力を高めるためにとても大切で、社会の中で自立した人間として生活していくのに大切な能力として近年、注目されるようになってきたのが「非認知能力」です。「思いやり」「協調性」「自制心」「自尊心」「やり抜く力」「意欲」「社交性」「勤勉性」「信頼」などの能力のことを言います。幼稚園はこれらの能力、人格形成の基礎を、遊びを中心とした生活の中で身に着けていく場所であるようにというのが今回の幼稚園教育要領の改善の大きな柱となっています。

 私はこの話を知った時に、幼児教育におけるキリスト教という基盤を持つ幼稚園、ドレーパー記念幼稚園が創立以来ずっと大切にしてきたことだと思い、大いに共感しました。日々の子どもたちの生活の中にある礼拝、説教、聖書の言葉、讃美歌、お祈り、献金、遊びの中での友だちとの関わり、保育者の丁寧な優しい声掛け、毎日の絵本の読み聞かせ・・。これらのことが「非認知能力」をしっかりと育んできたと思ったからです。残念ながらこのことを理解できず、幼児期のせっかくの集団での生活の場所なのに小学校で学ぶこと、国語や算数を事前に教えることをを良しとする幼稚園もあります。このようなことを幼児に覚えさせると、覚えさせられていない幼児と比べて一時的には優位に立ちますが、小学校の3年生くらいでは一緒になってしまうと言われています。一時的な認知能力を高めるために幼稚園での大切な時間を使うのではなく、学びたいという意欲を持てるようにする、学びをやり抜く力、学びのために自制する力を育むために幼稚園での時間は使われるべきという考えが新幼稚園教育要領にはあります。

 今月のカリキュラムのテーマは「探究」となっています。これも非認知能力です。6月が「関心」となっていました。子どもが関心を持ったことの中にある、なぜだろう、知りたい、わかりたいという思いや、未知なもの、新しい関心を探したいという子どもの思いを大切にしていきます。保護者の皆様も子どもたちのそのような姿、関心、探求の姿を見たときは面倒がらずに一緒に共感し、上手にその子どもの思いを育んでいけるようにできるといいですね。

2016年 6月 関心

 お弁当の時間に年少のひよこ組のお部屋に入っていくと、子どもたちが大きな声で「見て見て〜」とそのお弁当を見せてくれます。お弁当箱を持って見せてくれる子、おかずを箸で持って見せてくれる子。みんな目をキラキラとさせています。お母さんが作ってくれたお弁当を自慢したい気持ちが強く、それを必死になって表現している姿がとてもかわいい。子どもの成長、健康、喜ぶ笑顔を願いながらお母さんが作ったお弁当を食べる時間、子どもの心はお母さんと確かにつながっているように感じます。

 子どもと親がつながっている・・そのことが急に断ち切られるような事件、事故が起こりました。わが子を何とか言うことを聞く子にしようと思った親が山中にその子どもを置き去りにしたのです。恐怖心を与えることによって子どもに躾をしようと考えた親の行為です。山中に一人、取り残された子どもの恐怖はとても大きなものだったでしょう。一方で親も、子どものことが大切で、少しでもよく育てたいとの思いがあっての行動で、発見されるまでの6日間の親の苦しみも大きなものだったはずです。子どもを置き去りにした今回の一件は特別異質なことではありません。子どもをたたく、むやみにきつくしかる、自尊心を傷つけるなどの行為と本質的には同じものです。たたかれるのが嫌だから親の言うことを聞く、叱られるのが嫌だから親の言うことを聞くなどの恐怖心を使っての子育てはしないようにしましょう。
 
 自分の子どもに限らず、家族でも、それが夫でも妻でも、自分の言うことを聞いてくれるのが当たり前と考えること自体に無理があるように私は考えています。聞いてくれる時もあるし、聞いてくれない時もあります。聞いてくれる時を増やしたければ、聞いてあげることを増やしなさいと育児書に学んだことがあります。子どもの言うことは聞かない親なのに、子どもには親の言うことを聞きなさいと強要するのは、親と子、大人と子どもという上下関係を前提にした大人の勝手な論理です。子どもが言うことを聞かない思ったとしたら、それだけ、子どもの言うことを聞いていないと反省しなければならない時だということです。子どもの言うことをたくさん聞いてあげましょう。そのような親子の関係の中で、子どもは少しずつ自分で判断し、自分でできるようになっていくことが増えていきます。焦らずに見守って行きましょう。

 4月の「安心」、5月の「気づき」、そして6月のカリキュラムのテーマは「関心」となっています。安心して生活する中で気づく経験をたくさんしてきた子どもたちがいます。その気づく経験をさらに深めて、関心へと発展させます。身近にある自分の関心にじっくりと集中してよいのが子ども時代です。大人はその子どもの関心に気づき、共感し、一緒に楽しむ、そんな余裕をもって日々を過ごして行きましょう。

2016年 5月 気づき

 ドレーパー記念幼稚園はキリスト教主義に基づく幼稚園です。お子さんの大切な幼児期を過ごす場所である幼稚園、果たしてキリスト教主義の幼稚園における保育とはどのようなものなのか。加盟するキリスト教保育連盟の資料から下記に記しておきます。


 キリスト教保育とは

子ども一人ひとりが
神によっていのちを与えられた者として、
イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで育てられ、
今の時を喜びと感謝をもって生き、
そのことによって生涯にわたる生き方の基礎を培い、
共に生きる社会と世界をつくる自律な人間として育つために、
 
 保育者が
イエス・キリストとの交わりに支えられて共に行う
意図的、継続的、反省的な働きである。


幼稚園での生活のすべてがこれらの考えに基づいて行われています。この保育の目標を達成するには幼稚園の中だけで、保育者だけの力で行えるものではありません。保護者の方にもご理解をいただき、お子さんの成長のために、保育者と保護者が同じ方向に向かって、それぞれの場所と役割で子どもとの生活の日々を過ごして行けたらと願っています。

今月のテーマは「気づき」となっています。「自分の気持ちや気づいたことを身近な人に伝えようとする」ことに意識を留めて過ごします。幼稚園の保育カリキュラムには毎月のテーマがありますが、そのテーマはその月だけで終わりということではなく、一つひとつを積み重ね、自分のものとしていけるようにすることが大切です。園だよりを通じてそのような思いに保護者の方にも気づいていただいて、一緒にお子さんの成長を導いて行きましょう。

新年度から1カ月が過ぎました。進級したお子さん、新入園のお子さんの幼稚園での生活について保護者の方はどのように受け止めておられるでしょうか。わからないこと、不安なことがありましたら、担任または園長までいつでもおたずねください。

まもなく、けやきの会(保護者会)の活動、サークル活動も本格始動します。ぜひ、これらの活動に加わっていただき、子どもと同じように、保護者の皆さんも幼稚園で友だちを増やし、幼稚園生活を楽しんで行っていただけたらと思います。