協同 園長 佐 竹 和 平
地域情報紙リベルタに記事を毎週投稿し、掲載していただくようになって4年となります。ドレーパー記念幼稚園のことを地域の人に知っていただくことだけでなく、幼児教育について関心をもってもらいたいとの思いをもっています。時折、「キリスト教主義のホッ育」というというキャッチフレーズを載せることもあります。このフレーズは最初の原稿を考えるときに菊池牧師に考えていただいたものです。キリスト教主義の幼稚園の持つ、優しさと暖かさが「ホッ育」に感じられとても良いと思っています。
キリスト教に基づいて子どもを見るならば、子どもは何かができる、何かができないとかでその子の善悪が決められるのではなく、存在自体が良いものとされています。聖書には「神はお造りになったものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった(創世記)」と記されています。私たちは極めて良いものとして神様が創造してくださったものなのです。この視点で子どもを見るからこそ優しく、暖かい保育、「ホッ育」が出来るのです。
せっかく良いものとして存在しているのに、世間には自分の子どもはだめな子だというように思ってしまっている親、大人もいるようです。また、せっかく良いものとして存在しているのに親、大人の関わり方が悪くて、子どもの成長を阻害してしまうこともあるようです。
児童精神科医の佐々木正美先生が述べられていますが「過保護」と「過干渉」については保護者、大人に知っておいて欲しいと思います。佐々木先生は「過保護」は良いとしています。子どもの欲求に存分に応えてあげてくださいといっています。十分に保護される環境でこそ子どもは伸び伸びと行動ができます。自分らしさを発揮できるようになります。過保護は自主的でいきいきとした子ども育てるとしています。
一方の「過干渉」は子どもがやりたくないことをやらせてしまったり、子どもがやりたいことを親がやってしまう、子どもがやりたいことをさせないことです。これでは子どもはいきいきと生活できなくなります。自立の芽が摘まれてしまいます。親は子どもに「こうなってほしい」という気持ちがありますし、その忙しさから子どもの行動を急がせ、時に早くできないと親がかわりにやってしまうこともあり、どうしても過干渉になってしまうようです。
幼児期にはその違いは明確に現れなくても、成長するにつれて「過保護」と「過干渉」の違いは自主性の有無、自立する力の有無として明確に現れてくるようです。神様がよいものとして私たちにくださった子どもです。急かさずに、親の価値観で決めつけずに、その成長をゆっくりと見守ることが大切なようです。
1月のカリキュラムのテーマは「協同」とあります。協同とは共に力と心を合わせて助け合って事にあたることとされています。いろいろな場面で協同している子どもの様子を見ることが出来ます。自分一人では出来ないことが協同してできる喜び、自分が助けることによって何かが出来る喜びを子どもがたくさん感じられる1月としていきたいです。