感謝の言葉 園長 佐竹 和平
89歳になる私の母は、今年の1月からサービス付き高齢者向け住宅に入居しています。母は、日々の生活の中で職員やスタッフの方々の支援を受けながら暮らしていますが、いつも感謝の言葉を忘れません。
その言葉は「ありがとう」と「おかげさま」です。何かをしてもらったときには「ありがとう」、何かができたときには「おかげさま」。この二つの言葉を自然に使い分けている母の姿に、感謝の心の深さを感じます。
「ありがとう」は「有り難し」が語源で、「あることが難しい」、つまり「当たり前ではないこと」に感謝する言葉です。今、生かされていることも、誰かの優しさも、決して当然ではない──そんな思いが込められています。
一方の「おかげさま」は、「かげ」に丁寧語の「お」と尊敬語の「さま」を添えた言葉です。この「かげ(蔭)」とは、光のあたらないところ、見えないところで支えてくださる存在──神さまや仏さま、ご先祖さまを指します。つまり「おかげさま」とは、目に見えない支えへの感謝を表す、日本独特の美しい言葉なのです。
少し話は変わりますが、赤ちゃんのことを考えてみましょう。お腹がすいた赤ちゃんは、おっぱいを求めて泣きます。そのとき「ママのおかげで私が生きています。お忙しいでしょうがお手すきのときにお乳をください」などと考える赤ちゃんはいません。ただ、自分の不快を早く解消してもらいたい──その一心で泣くのです。幼児も小学生も大した違いはありません。子ども自身は親が当たり前のように自分のためにやってくれると思って生活しています。要求も待ったなし、今すぐを求めてきます。そのことが当たり前と思っているので本当の意味で親に感謝できるようになるのは、ずっと先のこと。成人してから、時には自分自身が親になってからかもしれません。
聖書には「すべてのことに感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙一 5章18節)とあります。今こうして生活できていること、子どもがいること、幼稚園に通えること、楽しい友だちや温かい家族がいること、家があり、食べるものがあること──どれも当たり前ではなく、「有り難く」「お蔭さま」なことばかりです。
幼稚園では「ありがとう」「おかげさま」の感謝を毎日の祈りを通じて子どもたちと分かち合っています。今与えられている環境を当たり前とせず、神さまの恵みと多くの人の支えによって生かされていることを感謝して日々を過ごしてまいりましょう。実りの秋、子どもたちの毎日がより豊かで実りあるものとなるよう願っています。