園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2025年 11月

幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿と運動会  

  園長 佐竹 和平

 

 大切なことなので、年に一度は園だよりを通してお伝えしているのが、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」です。これは、小学校入学前までに育ってほしい姿として文部科学省が幼稚園教育要領に定めている10の項目です。

①健康な心と体 

②自立心 

③協同性 

④道徳性・規範意識の芽生え

⑤社会生活との関わり 

⑥思考力の芽生え 

⑦自然との関わり・生命尊重

⑧数量・図形、文字等への関心・感覚

⑨言葉による伝え合い 

⑩豊かな感性と表現

運動会での子どもたちの姿を、この10の視点から見つめることで、一人ひとりの成長や学びに気づくことができます。

 

はじまりの会

家族の人たちと共に礼拝を守ります。「奏楽の音に合わせて心を静かにしましょう」と司会の園長が言うと、子ども達、参加してくださっていた保護者の皆さまも一緒に心を静かにする時が与えられ、園庭に静寂の時がもたらされました。そこには「協同性」「道徳性・規範意識」が確かにありました。

かけっこ

走ることを通して「健康な心と体」を育みます。ゴールを目指して最後まで走りきる中で、「自分で頑張る」気持ちや「自立心」が芽生えます。また、友だちと競い合いながらも応援し合う姿を通して、「協同性」も育まれます。

ダンス

音楽に合わせて体を動かす中で、「思考力の芽生え」や「豊かな感性と表現」が育まれます。振り付けを覚え、友だちと動きをそろえることで集中力や記憶力が高まり、自分なりの表現を楽しむことで創造性も豊かになります。みんなで一つの動きを作り上げる過程では、「協同性」や「道徳性・規範意識の芽生え」も育まれます。

年中・年長児は途中にリズムジャンプを取り入れ、それぞれの表現する姿を見せてくれました。

親子競技

親子で一緒に体を動かす中で、力を合わせる喜びや安心感を通して、親子の信頼関係が深まります。さらに、順番を待ったり、ルールを守ったりする姿の中に、「道徳性・規範意識の芽生え」も見られます。

パラバルーン(表現)

「協同性」や「社会生活との関わり」「言葉による伝え合い」「豊かな感性と表現」が育つ活動です。年中と年長が一緒に行うことで、教え合う姿や支え合う場面が多く見られました。友だちと息を合わせ、声をかけ合いながら表現する中で、「みんなでつくる楽しさ」を感じます。全体の動きを意識して行動することで、「思考力の芽生え」や「言葉による伝え合い」も育まれました。今年はみんなで声をそろえてセリフを言う場面や、自分でポーズを決める場面もあり、一人ひとりが生き生きと表現していました。

 

 運動会での一つひとつの活動には、子どもたちの成長を支える大切な学びが詰まっています。 勝ち負けだけでなく、最後までやりきる力、友だちと力を合わせる喜び、困っている子がいたら助ける、応援する姿、自分らしく表現する心——そうした経験こそが、幼稚園という集団での学びの場で育まれるものです。それが目的としてではなく、結果として「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」へとつながっています。

感謝の言葉  

感謝の言葉                   園長 佐竹 和平

 89歳になる私の母は、今年の1月からサービス付き高齢者向け住宅に入居しています。母は、日々の生活の中で職員やスタッフの方々の支援を受けながら暮らしていますが、いつも感謝の言葉を忘れません。

 その言葉は「ありがとう」と「おかげさま」です。何かをしてもらったときには「ありがとう」、何かができたときには「おかげさま」。この二つの言葉を自然に使い分けている母の姿に、感謝の心の深さを感じます。

「ありがとう」は「有り難し」が語源で、「あることが難しい」、つまり「当たり前ではないこと」に感謝する言葉です。今、生かされていることも、誰かの優しさも、決して当然ではない──そんな思いが込められています。

 一方の「おかげさま」は、「かげ」に丁寧語の「お」と尊敬語の「さま」を添えた言葉です。この「かげ(蔭)」とは、光のあたらないところ、見えないところで支えてくださる存在──神さまや仏さま、ご先祖さまを指します。つまり「おかげさま」とは、目に見えない支えへの感謝を表す、日本独特の美しい言葉なのです。

 少し話は変わりますが、赤ちゃんのことを考えてみましょう。お腹がすいた赤ちゃんは、おっぱいを求めて泣きます。そのとき「ママのおかげで私が生きています。お忙しいでしょうがお手すきのときにお乳をください」などと考える赤ちゃんはいません。ただ、自分の不快を早く解消してもらいたい──その一心で泣くのです。幼児も小学生も大した違いはありません。子ども自身は親が当たり前のように自分のためにやってくれると思って生活しています。要求も待ったなし、今すぐを求めてきます。そのことが当たり前と思っているので本当の意味で親に感謝できるようになるのは、ずっと先のこと。成人してから、時には自分自身が親になってからかもしれません。

 聖書には「すべてのことに感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙一 5章18節)とあります。今こうして生活できていること、子どもがいること、幼稚園に通えること、楽しい友だちや温かい家族がいること、家があり、食べるものがあること──どれも当たり前ではなく、「有り難く」「お蔭さま」なことばかりです。

 幼稚園では「ありがとう」「おかげさま」の感謝を毎日の祈りを通じて子どもたちと分かち合っています。今与えられている環境を当たり前とせず、神さまの恵みと多くの人の支えによって生かされていることを感謝して日々を過ごしてまいりましょう。実りの秋、子どもたちの毎日がより豊かで実りあるものとなるよう願っています。

2025年 9月

主体性  ~子どもの心の声を聴く~       園長 佐竹 和平

 夏休み期間中に受講した研修で、「主体性」について学ぶ機会がありました。
一般的に主体性というと、子どもが自ら進んで活動に取り組み、積極的に発言したり行動したりする姿がイメージされます。たとえば、友達を誘って新しい遊びを始める、先生に言われる前に片付けをする、椅子取りゲームに元気いっぱいに参加する――こうした姿は、わかりやすい主体性の現れといえます。文部科学省の定める幼稚園教育要領の中でも主体性はとても大切なものと位置づけられています。

 しかし、研修で学んだのは「目に見える行動の結果だけが主体性ではない」ということでした。実は、行動には表れていなくても、子どもが自分なりに考え、自分の意志で決めていることもまた、立派な主体性なのだというのです。

 たとえば、教室で椅子取りゲームをしているときのこと。多くの子が楽しそうに参加している中で、輪に加わらず見ているだけの子がいます。大人から見ると「恥ずかしがり屋なのかな」「消極的なのかな」と思うかもしれません。でも、その子の心の中では「やってみたいな」「でも負けたら嫌だな」「今日は見ていたいな」「いつかやれたらいいな」といった複雑な思いが行き交っているのです。水たまりに飛び込むお友だちを見て、「面白そう、やってみたいな、でも、汚れたらお母さんが怒るかな・・・やめておこう(でも、やっちゃおう)」。このように子どもの中には相反する思いがあります。それは自分の中に沸き上がった感情と反対の思い、社会のルール、規範意識、周りの人への思いやりなどで、このような心の葛藤があるのです。これは子どもに限らず大人にもあることです。行動には現れていなくても、「どうするか」を自分で考えて選んでいる、ここに、もう一つの主体性、とても大切な主体性があるのです。

 子どもは、それぞれのタイミングで心の準備を整え、少しずつ前に進んでいきます。
昨日まで輪の外からじっと見ていた子が、ある日から、誰よりも元気に椅子取りゲームに参加する姿を見せてくれることもあります。大人からすると急な変化のように見えても、その子の中では少しずつ気持ちが育ち、葛藤を乗り越え、自分を納得させた上で、行動に結びついたのです。

 子どもたちの成長は、目に見える部分だけでは測れません。一見、活動に消極的に見えるときも、実は心の中で豊かな主体性が育まれている。私たち大人は、その子どもの声を聴き、見守り、支え続けましょう。そして、子どもが、主体性をもってやるべきことに対して「やってみよう!」と自ら一歩を踏み出すその瞬間を、共に喜び合いたいと思います。

2025年 7月

 ブランコ                園長 佐竹 和平

 幼稚園の園庭にあるブランコは、子どもたちに人気の遊具です。子どもたちの生活の中心には「遊び」がありその遊びの中にたくさんの“育ち”が詰まっています。今回はブランコを通して、子どもたちの成長についてご紹介したいと思います。

 園庭で遊んでいると、「えんちょうせんせい、ブランコおして〜!」と声をかけてくれる子がいます。そんなとき私は、お決まりのボケをひとつやってから、背中を押したり、ジェットコースターをしてあげます。園長だけでなく、他の先生たちも子どもたちにたくさん声をかけられ、ブランコを押しています。

 ブランコは人気がある分、「順番を待つ」という経験も欠かせません。誰かが乗っているときには、「か〜わって」と自分の気持ちを伝えなければなりません。一方で、今乗っている子には「まだ遊んでいたい」という気持ちがあります。それでも、「10数えたらいいよ」などと声をかけて譲ってあげる姿も見られます。年下の子に対してはすぐにかわってあげられる子もいます。中には決して譲れない子もいます。

 「かわってほしい」と自分の思いを伝える子。「まだ遊びたい」気持ちを持ちながらも、相手の思いを感じ取って譲る子。そこには、相手を思いやる心や、折り合いをつける力が育まれています。

 また、「〇〇せんせい、おして〜」と先生を呼ぶ声にも、子どもたちの成長が見えます。近くに先生がいないときには、もっと大きな声で呼ぶ必要があります。その声に気づいて駆け寄る先生がいて、自分の思い、表現したことが実現します。

 子どもたちがブランコを押してもらいたがるのは、まだ自分でうまくこげないから、というだけではありません。先生と一緒に遊びたい、楽しい時間を分かち合いたいという気持ちもあるのです。もちろん、少しずつ自分の力でこげるようになり、その喜びを味わう子どもも増えていきます。

このようなブランコ遊びの中で、子どもたちはさまざまな力を育んでいます。

  • 自分の気持ちを表現する
  • 順番を守る
  • 相手の気持ちに気づく
  • 数の感覚を身につける
  • 先生や友だちとの関わりを通して社会性を育てる

 そして、体を動かすことで体力もついていきます。3歳のうちはまだ難しいことも4歳、5歳、6歳と成長する中で、少しずつできるようになっていきます。

思いっきり遊びながら、たくさんの経験を通して、子どもたちがのびのびと成長していく姿を見守っていきたいと思います。

2025年 6月

 人生に必要なもの  勇気と想像力と少しのお金    園長 佐竹 和平

厚生労働省がこの度、公表した2024年の出生数(生まれた子どもの数)は全国で約68万人。初めて70万人を下回り、前年に比べて約4万人の減。神奈川県では約5万人が生まれたのだが前年に比べて約2600人減とのこと。合計特殊出生率は全国では 1.15人、神奈川県は 1.08人となっている。人口を維持するのにはこの数字が 2.07人にならないといけないのだそうだが、もはや、この数値を目標にすることをやめているよう。
 国が少子化対策基本法を制定し、本格的にその取り組みを始めたのが2003年。極一部の自治体が独自の取り組みによってその成果をだしているところはあるが、この20数年来、少子化が止まることはなく、むしろ予想以上の速さで少子化が進んでいるのが実際のところ。収入や生活の不安があり結婚を望まない、結婚していても子どもを授かることを望まない比率も年々高くなっている。子どもを授かろうとする人数、育てようとする人数も様々な事情で減ってきています。また、晩婚化により子どもを授かれる人数に影響があるのだともいわれています。神奈川では平均で夫の初婚年齢は 31,7歳、妻は 30.3歳とのこと。
 これらの報道をみて思い出したのが、チャップリン喜劇王と呼ばれた映画人)の映画に出てくるセリフ。あるダンサーを励ますためにと言ったこのセリフ。
  「人生に必要なのは勇気と想像力、そして少しばかりのお金なんだよ」

今の政策、今の国の在り様では子どもを授かれる世代、青年層に対して、チャップリンの言う人生に必要なものが持たせられていないのだなあと、ふと思った次第。
結婚する勇気、結婚により人生がより豊かになるという想像力、子どもを授かろうとする勇気、子どもを授かり、育てる喜び、幸せに対する想像力。そしてわずかばかりのお金。このお金に関しては少しとはいかずに、子どもを産み、育てる費用、またその間の雇用の安定が求められ、これが無いから勇気が持てない、結婚し子どもを育てることの想像ができないとも言われてもいます。確かに、これらを青年層、子を授かれる世代が持っていなければ少子化が進むのも致し方ないと思われます。
 さて、これを読んでおられるのは幼稚園にお子さんが在園している方、又は未就園児の保護者として幼稚園に関わっておられる方かと思います。すでに、子を持つ親として、子育て真っただ中の皆さんです。お子さんが成長し、生きていく未来がどんなものになるのか、先行き不透明、不安定な時代でもあります。このような時代を生きるのには確かに勇気と想像力が必要とされるのかと思います。

お子さんの持つ勇気と想像力を育めるような6月を過ごしてまいりましょう。

2025年 5月

 見えないものに目を注ぐ               園長 佐 竹 和 平 

 キリスト教保育の中で最も大切なことは「子どもが、自分自身を大切なひとりとして受け入れられていることを感じ取り」「自分自身を喜びと感謝をもって受け入れるようになる。」ことへと導かれることにあります。

 ドレーパー記念幼稚園の生活には「お祈り」「さんびか」「聖書の言葉」があります。そして、なにより、愛に包まれた人と人との交わりがあります。これらのことを通じて、自分自身が神様、家族、お友達、保育者に愛されている、大切なものだと感じ取って行きます。このことが生きていく上での出発点になります。このことを知るからこそ、自分自身が大切な存在だとわかるからこそ、目の前にいるお友達のことも大切な存在だということがわかっていくのです。

 キリスト教保育では「見えないものに目を注ぐ」という表現があります。新約聖書コリントの信徒への手紙に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」とあります。目に見えるものは失ってしまうことがあるかもしれないけど、決して失うことのない目に見えない大事なものがあることを知らされます。

 字が書ける、絵が上手、鉄棒、なわとびが得意、製作が得意・・・悪いことではありませんが、このように目に見える成長の成果よりも、目には見えないものの中に大切なことがあることを思わされます。

 幼稚園という集団での生活の中で、子どもはお友だちと仲良くしようとする心、お友だちのことを心配する心、お友だちのことを勇気づけようとする心、出来ないこと、やったことのないことに挑戦する心を持っています。でも、まだ、その心が上手く表現できないでいる子もいるかもしれません。そんな時に教師はその目に見える表現されたもの、結果ではなく、目に見えない子どもの、その時の気持ちに寄り添い、その気持ちを育み、励ましていくのです。上手く出来た時だけでなく、上手く出来なかったときにも分かっていてくれる人がいる。子どもはこの事で安心と自信を得るようになります。

 見えないものに目を注ぐことを大事に日々の保育に取り組んでまいりたいと思います。

2025年 4月

深く愛されて育つ                    園長 佐竹 和平

 「だから毎日、幼稚園に通えた」という本が出版され、その著者の名前が東田直樹さんとなっていたのですぐに注文して読ませていただいた。東田直樹さんは重度の自閉症で、言葉でのコミュニケーションが不得意です。この本を購入する際にAmazonでは2014年に東田さんの「自閉症の僕が跳びはねる理由」という本を私が購入していることもわかりました。当時、20代前半の東田さんが講演会の講師に招かれ、ぴょんぴょん跳ねながら、自閉症についての質問に答えるシーンや、話の終わりには甲高い声で「おわり」というなど、非常に印象的でした。

 東田さんは重度の自閉症でコミュニケーションが苦手なのですが自分の考えていること、考えていたことを器具により表現できるようになり、自閉症の当事者の考えていることを彼によって多くの人が知ることになったのです。今では「自閉症の僕が跳びはねる理由」は世界30か国で翻訳出版されるベストセラーにもなっています。

 さて、今回、読んだ本の「だから毎日、幼稚園に通えた」の中に幼稚園の先生についての記述がありました。子どもは先生を好きになります。特に担任の先生を好きになります。それは私の担任の先生だから好きになるのだというのです。東田さんも幼稚園時代には会話はできなかったけど、担任の先生が好きだったと。このことから連想して考えたのは、子どもはお母さん、お父さんが大好きです。これは私のお母さん、私のお父さんだからということに改めて気付かされもしました。子どもは私の担任の先生、私の幼稚園の先生、私のお母さん、私のお父さんが好きなのです。

 「自閉症の僕が跳びはねる理由」の中には子どもに対しては「大好きだと伝えてください。大切なのは一人でもいいので、どれだけ深く愛されたかだと思います。」と大人、保護者へのアドバイスがありました。「一人でもいい」「どれだけ深く愛されたか」に自分自身のこと、自閉症のことをなかなか理解してもらえなかった東田さんの苦悩がありました。そんな中でも両親、幼稚園の先生には深く愛された記憶があるようで、それが今の自分、自己肯定感のある自分につながっているとのことでした。

 ドレーパー記念幼稚園はキリスト教主義の幼稚園です。子どもは神さま、イエスさまに深く愛されています。お母さん、お父さんから深く愛されています。担任の先生、幼稚園の先生から深く愛されています。そのことを子ども自身が日常の生活の中で感じ取り、自分自身を愛し、周りの人を愛せるようになっていくのです。

 さあ、お子さんのことを深く愛していく日々をともに過ごしていきましょう。

 

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