園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2025年 2月

3000万の格差   園長 佐竹 和平

 生まれてから3歳になるまでの間にたくさん言葉をかけられた子どもと、そうでなかった子どもの、そのかけられた言葉の数の格差が3000万語というのです。3000万語多く声をかけられて育った子どもはその後の成長において、そうでない子どもと比較して豊富な語彙力を保持するようになるということです。語彙力があるということはそのまま思考力、想像力、コミュニケーション能力、非認知能力の獲得につながります。3000万語の格差がつまりは人間力の格差につながるという、アメリカの調査研究結果です。

 子どもが語彙を習得する能力の訓練期間としては3歳までが重要だから、この期間迄の調査結果が出ているのでしょう。しかし、語彙の習得は3歳以降もしていくことですから、もう、自分の子どもが3歳を過ぎているからとあきらめずに、今からでもたくさん言葉がけをしていくのがお子さんの成長にとっては大切なことということになります。

 単に言葉をかける、子どもにとっては言葉が耳に入るということなら、テレビとかスマホの動画でもよいことになります。しかし、そこも研究結果があって、大切なのは下記の3つで、その頭文字で3つのTとされています。

❶親のやり方、親のやらせたいことに子どもを寄せていくのではなく、子どもが興味を示していることに親が寄って行く。(Tune In)

❷たくさん話しかける。今、行っていることの実況でもいい。(Talk More)

❸会話のやりとり。なぜ?どうして?と応答を求める会話。(Take Turns)

 格差社会などと言われますが、実際には情報の格差によって様々な格差が生まれているようなところもあります。この30000語の格差は親が知って実践するかどうかです。費用はかかりません。3歳未満、乳児ならなおさらですが、幼児に対してでもたくさんの声がけをしていきましょう。3つのTのほかに、話しかける内容としては、子どもの人格、人権を損なわないような声がけ、子どもを否定したり、急がせすぎたりしない言葉がけが大事な大前提にもなります。

 目の前にいる大切なわが子に笑顔で明るい声でたくさん話しかけましょう。

2025年 1月

冬が来た               園長 佐竹 和平

 1月の4、5歳児のカリキュラムのテーマに「かさねる」とあります。その「願い」としては「今まで楽しんできたことに新たな経験を重ね遊びを広げる」とあります。4月からの生活、年少、年中からの生活の中で培ってきた自分自身の経験に、ここにきて新たな経験を「重ねる」ことが今月の願いです。そして、保育者(教師)は「子どもの思いが実現できる環境を整え、興味関心の幅を広げる」とありますから、子どもの成長を導く専門職らしい働きが求められもしています。

 冬の朝の寒い時、私には思いだす詩があります。

高村光太郎の「冬が来た」という詩。

 きっぱりと冬が来た  

 八ツ手の白い花も消え 

 公孫樹(いちょう)の木も箒になった

 きりきりともみ込むような冬が来た 

 人にいやがられる冬 

 草木に背かれ、

 虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ僕に来い、僕に来い  

 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ  

 火事を出せ、雪で埋めろ  

 刃物のような冬が来た

 

 寒くて人に嫌がられる冬を、自分の力に、自分を成長させてくれるものしている僕。そのためにもっと冬らしくあれ、寒くあれと願ってもいる僕です。寒さに萎縮しないで、凛と立つ姿がとても素敵な詩で、この詩に園庭の元気な子どもの姿を重ねている私です。

 寒い冬にも冬の良さがある。その冬の良さを、まだ冬の経験の浅い子どもたちに気づかせてあげられる、こどもたちの「興味関心の幅を広げる」ことができる保育者、大人であってほしいというのが今月の「願い」です。

 吐く白い息、冷たくなった手を暖めあう、澄んだ空気、結露した窓ガラス。生活の中で見る冬の体験は大人には当たり前でも、子どもには未知の体験のこともあります。子どもと一緒にその体験を感じ合える、そんな冬をすごしたいものです。「冬が来た」と前を向いて、親子で冬を喜び、冬を楽しみましょう。

12月 2024年

子どもを授かる喜び                園長 佐竹 和平

 最近の新聞記事より。1993年時点で24歳から34歳の女性をその後、2014年まで幸福度の追跡調査をしたデータの分析結果。「あなたは現在、幸せだと思いますか」という質問に対しての回答として一番幸福度が高かったのが「子どもがいない専業主婦」次に「子どものいない共働きの女性」、その次に「子どものいる専業主婦」で、最も幸福度の低かったのが「子どもがいる共働き女性」だったというのです。さらに子どもの数が増えると幸福度が下がる傾向もあると。そして、男性も同じような傾向で子を持っている男性つまり父親の幸福度は、子を持たない男性より明らかに低く、かつ女性よりも幸福度が低いという結果です。

 データ分析者によると子を持つ親の幸福度が相対的に低いのは、子どもを持つことで夫婦関係の満足度が低下する、消費生活の満足度が低下(自分のために使えるお金が少なくなる)、家事、育児の負担が増えるからではと。結婚をして、子どもを授かることが幸せという価値観はもはや当然のことではなくなってしまっているのでしょうか。少子化の時代にはあっては上記のマイナス要素を軽減させる取り組みが求められるのでしょうか。

 12月、クリスマスの時、幼稚園では全園児でページェントを演じます。その始まりは乙女マリアのところに天使が現れ、神様の子どもを授かっていることを告げる場面です。突然の出来事にマリアは困惑します。なぜならマリアはまだヨセフと結婚していなかったからです。当時のユダヤの立法では結婚前の女性が子どもを産むとなれば石打の刑で死刑になるような時代でした。しかし、マリアは「神様の御心の通りになりますように。」と天使のお告げを受け入れるのです。夫となるヨセフはマリアの妊娠を知り離縁しようとしますが、ヨセフのところにも天使のお告げがあり、マリアのことを受けいれたのでした。

 クリスマスの出来事、神の子、救い主、イエスキリストの誕生はヨセフとマリアにとっては不安、恐怖でしかなかったでしょう。天使の言葉を信じたものの旅の途上の宿として泊まるところは馬小屋しかなく、しかも、その場所で出産したのです。

 その時から2000年以上が経って、今、私たちはこの不安と恐怖の中でこの世にあらわれたイエスキリストの導きによって、こうして、ドレーパー記念幼稚園という場所が与えられ、このように集い、交わる機会を得ています。ヨセフとマリアが授かった子を神様からの贈り物として受け入れた、神様の愛を受け入れたところからが全ての始まりです。

 さて、皆さんのお話し。先のデータのようにお子さんがいて不幸に感じておられるでしょうか。確かに子育てはとても大変なものです。でも、子育てに不安、不満を感じた時にはこのクリスマスのマリアとヨセフを思い出して欲しいのです。神様が必ずその子を愛し、慈しんでいると信じることができれば、そこに幸福が見えてくると思うのです。

 子育ては神様の愛を信じるところから始まるのです。授かった我が子は必ず幸せになるし、その子により家族はより幸せになる。

 このクリスマスの時に改めて思うのです

 

11月 2024年

育ててくださる神さま                園長 佐竹 和平

 今月の「成長させてくださったのは神です」という聖書の言葉(キリスト教保育連盟のカリキュラムによる)は、子育て、幼児教育においてはとても重要な意味を持っています。新約聖書のコリントの信徒への手紙Ⅰの3章6節に由来し、「私は植え、アポロは水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です」というパウロ(私)の言葉です。この言葉の背景は、コリント(ギリシャ南部の都市)の教会を設立したパウロとその後、パウロが不在の時にこの教会でイエスキリストの福音を伝えたアポロがいて、この二人の働きは大切なものだったが、教会を導いたのは神ですというのです。

 これがそのまま、子育てにも当てはまるので今月の聖書の言葉に取り上げられているのです。保護者、教育者は子どもの成長を導くために様々なことをします、水を注ぎます。しかし、子どもを成長させてくださるのは神なのです。子どもの成長は神にゆだねられているのです。この子ども観がキリスト教保育の根幹にあるのです。

 子育ては思うようにいかないことがたくさんあります。親の思いとは全く違う判断、行動を子どもはするものです。親としては、親の考える正しいと思える判断、行動を子どもにしてもらいたいと願いますが、親の思い通りにはいきません。しかし、そのような時でも神を信頼し、神にゆだねることで、親や教育者が持つ不安や焦りが緩和されるのです。

 子どもの全てをコントロールしようとして、全てを完璧にしようとして頑張りすぎてはいませんか。子どもの為を思って・・・と、子どもの今置かれている状況、環境を考慮せずに、子どもに厳しくし過ぎるようなことはしていませんか。また、子ども自身が親の期待に応えようと頑張り過ぎてはいませんか。

 大切なことは、親、教育者はその子にあった適切な支援、関りをしたうえで、背後にあって子どもの成長を願って祈ることだと聖書は示しています。

10月 2024年

文科省キリスト教保育の思い            園長 佐竹 和平

大切な事なので年に1回は保護者に園だよりを通じて紹介させていただいているのが幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿。これは文部科学省が幼稚園教育要領に定めたもので、小学校入学前までに育ってほしい姿として10項目挙げているものです。

①健康な心と体  

②自立心  

③協同性  

④道徳性・規範意識の芽生え 

⑤社会生活との関わり  

⑥思考力の芽生え  

⑦自然との関わり・生命尊重 

⑧数量・図形、文字等への関心・感覚  

⑨言葉による伝え合い 

⑩豊かな感性と表現 

これらの項目をみると幼稚園での生活を少しは教育的視点で見ることができるでしょうか。これらの項目は教師が子ども達の生活の様子、成長する姿を観る視点のために定められたものでもあります。園庭での鬼ごっこをしている姿、お団子づくりをしている姿、教室で制作をしている姿は何に当てはまるか。より深くこの活動を子どもができるようにするにはどのような環境を造ったらいいのか。園児フェスティバルに向けた活動では子ども達の主体的な活動が見られましたが、その過程でどのような成長があったのか。運動会に向けての取り組みのなかでどのような成長が導けるか。教師が子どもの活動の一つひとつを丁寧に観て、子どもが今、どのような資質、能力を身につけようとしているのかを見極めるためにも定められたものです。

ドレーパー記念幼稚園はキリスト教主義に基づく幼稚園です。そこには文部科学省が定めた方針、小学校に入る前に身に着けて欲しいと教育施設に指導するようなことよりも大切な教育の柱があります。

キリスト教保育連盟ではキリスト教保育の願いとして「イエスキリストを通して示される神の愛と恵みのもとで子どもたちが育てられ、今の時を喜びと感謝をもって生き、そのことによって生涯にわたる生き方の基礎を培い、共に生きる社会と世界をつくる自律な人間として育っていって欲しい」と示しています。

「今の時を喜びと感謝をもって生きる」 そんな人生を過ごせるように人になって欲しいと願っているのです。

 

 

9月 2024年

子どもの権利条約                 園長 佐竹 和平

 国連が「子どもの権利条約」を定めたのが1989年、日本はこの条約をその5年後の1994年に認めて、条約国となっています。もう、それから30年が経っていますが、日本国内では「子どもの権利条約」についてはそれほど知られていません。日本には戦後の子どもたちの生命や成長、幸福が保障されるよう「児童憲章」が制定(1951年)されていることとも関係がありそうです。

 日本の子どもたちは、その多くが幸福に豊かな環境の中で生活していると思ったら間違いで、国連からは「子どもの意見に対する配慮が欠けている」とのことで改善勧告を受けています。日本は親の意見に子どもが従うのが当然という風土があって、子どもの意見、思いが蔑ろにされているというのです。子どもの権利条約では子どもは、たとえ乳幼児であっても、人権の主体者という考え方に基づいています。したがって、子どもには自分の思っていることを言う権利があり、その意見、考えは年齢に応じて尊重されるべきというのです。日本の児童憲章では子どもは守られるべき存在の範囲ですが、子どもの権利条約では子どもは社会の構成員とされているので意見も尊重されるべきとなっています。

 考えてみると、日本のこの30年間は少子化対策なるスローガンで保育の受け皿の確保、待機児童数の減に取り組んできましたが、これは何も子どもが自身の訴えではないのは明らかです。子ども自身は親と一緒にいたいというのが思い、願いというか、本能なのではないでしょうか。子ども自身の直接的な利益、子どもの意見が尊重される施策があったのかが思い浮かばず、国連からの勧告も納得します。

 子どもの権利条約に関しては全日本私立幼稚園連合会のパンフレットには保護者の皆さんむけに質問交じりの提案がなされています。

・お子さんの睡眠時間は十分に足りていますか?

・普段からお子さんへの指示・命令が多くありませんか?

・お子さんが叫び声を上げることが多いですか?

・テレビやインターネットを観る正しいルールができていますか?

・お子さんとのあいさつや会話を大切にしていますか?

・生活の中に良いこと、楽しいことの繰り返しがありますか?

 大人として、親として、保護者として、人生をより長く生きている者として、子どもを下に見て、その行動、考え、存在を決めつけてしまってはいませんか。子どもの声を丁寧に聞く、その声を受け入れることのできる大人が増えるよう願っています。

2024年 7月

ダンゴムシのための祈り             園長 佐竹 和平

 ドレーパー記念幼稚園には卒業生保護者による後援会というものがあって、幼稚園の活動に関して応援してくださっています。今回、その後援会の小室会長が「保育者の祈り(日本キリスト教団出版局」という本を教職員に各一冊ずつプレゼントしてくださいました。ご自分が読まれてぜひ幼稚園の先生にも読んで欲しいと思われたようです。

 この本にはキリスト教主義の保育の現場で働く職員のためのお祈りの事例がいくつも載っています。最初の事例がページェントの役割を決めるときに保育者が子どもたちと祈る内容ですからまさに、子どもとの生活に根付いた内容が多いです。

なかでも、秀逸だと感じたのが「集められたダンゴムシのために」という祈り。面白いので全文紹介します。

神さま、この、箱いっぱいのダンゴムシたちをごらんください。

園のすみずみから、みんなが集めてきました。

のんびり昼寝していたダンゴムシもいたでしょうし、

おいしいごはんを食べていたダンゴムシもいたでしょう。

わたしたちに友達や家族がいるように、ダンゴムシにも大切な仲間がいます。

ダンゴムシは私たちにかみつくこともなく、爪でひっかくこともしません。

ただ頑張って丸まって、自分を守っています。

あとでダンゴムシたちをお庭に戻します。

ダンゴムシよりはるかに大きなわたしたちが、

この小さな優しい虫を大切にできますように。   アーメン。

 別に子どもたちにダンゴムシを大切に扱って欲しくて上記を紹介したのではありません。この祈りのように、小さなものの気持ちに寄り添うこと、相手の立場になって物事を考えることができることの尊さを覚えて欲しいとの願いによるものです。

 先日、後援会の事業で「こどもかいぎ」という映画の上映会が教会の礼拝堂で行われました。子どもには子どもの価値観があって、その価値観を大人の価値観で是非をしても意味のないことがあることに改めて気づかされた映画でもありました。

 ダンゴムシが大切に思われるように、目の前の子どもも、そして私自身もみんなに大切に思われる、そんな環境の中で子どもを育てていきたいですね。