園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2023年 1月

喜んで生きる             園長 佐竹 和平

「はやく起きなさい」「はやくご飯食べなさい」「はやく歯を磨きなさい」「はやく着替えなさい」こんな感じで朝が始まり、最後は「はやく寝なさい」と一日中「はやく○○しなさい」。私も気にはかけていますが、幼稚園の生活で、子どもに対して「はやく・・・」と言ってしまうこともあります。子ども自身は「はやく」が嫌いなのに、どうも大人の都合で「はやく」が求められています。

先日の礼拝で子どもたちに聖書のお話をしました。パウロという使徒が聖書に記したのは「はやく○○しなさい」ではなく「いつも喜んでいなさい」というものです。子どもたちに「いつも喜んでいなさい」と伝える私ですが、聞いている子どもたちは実にニコニコと、うれしそうに私の話を聴いてくれています。喜んで聴いてくれている子どもたちです。

「いつも喜んでいなさい」とは大人には中々、難しいメッセージです。仕事、家族、交友関係、健康、将来設計など不安なこと、不安に思ってしまうことも多くあり、いつも喜んで生きるのは難しいです。なので、パウロはその後に「絶えず祈りなさい」「どんなことにも感謝しなさい」と続けています。この三つをセットにしていると喜んで生きることができるとのメッセージです。「喜び」「祈り」「感謝」を絶えず忘れないようにすることが大事なことなのです。

 さて、子どものことです。子どもは基本的に喜んで生活しています。人生での経験も少ないので、初めて行なうこと、知ることも多く、毎日が新しいことへの挑戦に溢れ、わくわく感で一杯。ある程度の水準、安心して生活ができる環境が与えられていれば子ども自身が持つ悩みや苦しみも限定的、短期的なことが多いのです。それゆえ子どもはいつも喜んで生活しているのです。

 親、大人の責任はここにあると思います。時折、子どものためと思ってやっていることが、自分のため、親自身の自己満足、自己実現のためであったりすることがあります。私自身も既に成人となっている2人の親として、そのような思いで子どもに無理強いさせて、喜びを奪ってしまったと、今になってみれば反省させられることもあります。

 親、大人の責任は子どもが安心して生活ができるようにすることです。子どもが喜んで生きていけるようにすることです。その邪魔をしないことです。与えられている今に感謝する。そのことを喜び感謝し、祈る。この循環に人生の大切な要素が含まれているようです。

2022年 12月

クリスマス             園長 佐竹 和平

 幼稚園は教育基本法に基づく教育施設として位置づけられています。その教育基本法の条文の中には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とその目的が示されています。

 「人格の完成」」とあります。子どもたち一人ひとりが持つ個性、主体性が尊重された中で育っていくよう求められています。また「形成者」として国家や地域の民主主義的社会の担い手になるよう求められてもいます。その担い手としては心身ともに健康であるように求められてもいます。国民は教育を受ける権利があり、国は教育の目的が達成されるよう様々な手段を講じる責任を持っています。

 「形成者」という言葉は耳慣れない言葉ですが、主体性を持って、自主的に社会に関わり、創造していくという意味になるのでしょう。キリスト教的には平和で民主的なとの言葉も示されていることから、神様から与えられた賜物、授かった能力、個性を活かし、互いに愛し合いなさい、隣人愛という教えにもつながっていきそうです。

 12月、神様がイエスキリストを私たちに贈って下さったクリスマスの時です。幼稚園では全園児でページェントを演じます。上記したように幼稚園は教育施設として、その活動の一つひとつには意義があり目標があります。子どもたちはページェント、クリスマスを通じても、学び、成長していきます。イエスキリストの誕生を喜ぶべきこととして学び、神に感謝することを学ぶことの意義は、人生においてとても重要なことです。

 ページェントの始まりは乙女マリアのところに天使が現れ、神様の子どもを授かっていることを告げる場面です。突然の出来事にマリアは困惑します。しかし、マリアは「神様の御心の通りになりますように。」と天使のお告げを受け入れるのです。とても大切な場面で多いに教わることがあります。神様を信じ、神のご計画に委ねることの大切さを私たちに教えてくれているのです。

 子育てではやれること、やるべきことをやっても上手くいかないこともあります。親としては思い通りにならないと思うこともあるでしょう。そんな時は、このクリスマスでのマリアを思い出して欲しいのです。マリアの様に神を信頼し、神に委ねる勇気を。その子が神様から与えられている賜物、神様のご計画を信じて、その成長を待てる大人が周りにいたら、子どもにとってどんなにうれしいことでしょう。

 子どもたち、保護者の皆様と共にクリスマスを迎えられることに感謝です。

クリスマスおめでとうございます。

2022年 11月

 多様な動き             園長 佐竹 和平

 

 訳あって、今年度の運動会は例年と違った形での開催となりますが、子ども達は、当日を楽しみに準備、練習に取り組んでいます。

子ども達の運動に関しては文部科学省の幼児の運動指針としては下記が掲げられています。

  1) 多様な動きが経験できるように様々な遊びを取り入れること

  2) 楽しく体を動かす時間を確保すること

  3) 発達の特性に応じた遊びを提供すること

 子どもは身体を動かすことが好きです。疲れを知らないかのように走り回りますし、何処でもすぐに駆け出すようなことも多くあります。子どもがよく動くと言っても、単調な動きの中では全身の身体の使い方を身体が覚えていきません。幼稚園では子どもが全身を使って遊べるような環境、普段は使わない部位を動かすような遊びを取り入れるなどして、子どもの成長を導くようにしています。

 ホールで行なう忍者コーナーは一本橋では「渡る」「バランスをとる」、木の雲梯では「ぶら下がる」、高めに用意した跳び箱には「よじ登る」「ジャンプ」など様々な動き、文部科学省の定める「多様な動き」を取り入れています。

 このようなことは楽しみながらやることが大事です。「おもしろそう」「やってみたい」楽しいから何度でもやります。お部屋や園庭でも子どもたちが楽しみながら多様な動きができるよう教師が考えて日々を過ごしています。

 今は運動会に向けて各クラスでダンスに取り組んでもいます。音楽に合わせて身体を動かします。友だちと心をあわせ、リズムよく踊るようにします。また、隊形移動で動く時もあります。ダンスも子どもたちが楽しみながら多様な動きができる活動の一つです。

 年長が行なう「組み体操」はまさに多様な動きの集大成のようなもので、身につけてきた多様な動きと集団生活の中で培ってきた友だちとの関係性、信頼関係によってなされるものです。演技の中ではお互いが励ましあっている姿、「がんばれ~」「たえろ~」などの声が聞こえてきたりもします。

 幼児が身体を動かし、遊ぶことは丈夫で健康な体をつくり、体力や運動能力の基礎を培うことによって、意欲的な心や協調性、コミュニケーション能力や認知的能力につながる大切なものです。ご家庭でもそのような視点でお子さんをみていただけたらと願っています。

2022年 10月

私を生きる                園長 佐竹 和平

 10月のカリキュラムのテーマは「みんなちがって みんないい」とあります。金子みすゞの詩のフレーズがすぐに思い浮かんできます。

「私と小鳥と鈴と」

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、

地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに 

たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。

 なんともかわいらしい詩で、速く走れて、歌をたくさん知っている少女がありのままの自分を生きている様が感じられます。多様性を認めることが大事とされ、人種、国籍、ジェンダー、年齢、障害などによる差別やそこから起きる理不尽なことを無くしていこうという昨今の情勢の中にあって「みんなちがって みんないい」のフレーズはとても心地よく聞こえます。

 しかし、改めて調べると、みすゞは1903年明治36年)に生れて、複雑な家庭環境の中に育ち、成人の後に結婚するも夫の放蕩もあり1930年(昭和5年)に26歳の若さで、幼い娘を残して自死しています。みすゞの詩にどのような意味あるのか改めて考えさせられます。

 およそ今から100年前の社会、環境の中です。多様性などというものが認められる場面は少なく、みんなと違う人は排除されることが多くあったでしょう。子どもは親に対して絶対服従、妻は夫に聞き従うのが当たり前だった時代です。男は男らしく、女は女らしくしなければならない風潮もありました。そんな中にあって詠まれたのが、この「私と小鳥と鈴と」になります。私はもしかしたら、走れるのに走るのを禁じられている私。私は唄えるのに唄うのを禁じられた私。「みんなちがって みんないい」の最後のフレーズが、そのことを嘆き悲しんでいる詩のように、私には思えてきます。

 幼稚園の子どもたちを思うと、一人ひとりが自分らしく園での生活を楽しんでいる様がうかがえます。園長の私への接し方もそれぞれです。背中に乗りたがる子。えんちょーかんちょーやきいもマンと毎回叫ぶ子。中にはかまって欲しくて蹴ってくる子、砂をかけてくる子もいます。何かが出来るとか、出来ないとかではなく、一人ひとりが持つ賜もの(神様から授かった個性、能力)を活かして、私を生きることができる幼稚園。保護者の協力を得つつ、教職員一同がもつ賜ものを出し合いその環境を造っている成果だと私は思っています。

2022年 9月

うえお かきくけこ            園長 佐竹 和平

 人間関係、親子関係などで悲しい事件が報道されたりします。私たちが知らされていないだけで、厳しい環境下で生きている人は多くあり、不幸の中に生きておられる人はとても多いのでしょう。古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは「人生における最善の状態は幸福であると」と指摘しています。改めて考えれば確かに「幸福」という価値観が最も優位であると思われます。この「幸福」に授かることができない人が、本人のせいではなく、周りの環境によって、幸福になれない人が多いように思います。

 最善の状態である幸福になるため、幸福を感じるための条件や定義は人それぞれで、いま置かれている環境によって異なるでしょう。お金がある、社会的地位がある、仕事がある、容姿が端麗である、健康である、家がある、家族がいる。これらのモノがあれば幸福だと思う方もおられるでしょう。しかし、これらのモノ以外で、幸福であるために絶対必要な条件が平和であることです。平和とは改めて辞書で確認すると「戦いや争いがなくおだやかな状態」とありました。いくら十分なモノに満たされていても平和でなければ幸福にはなれないのです。貧しくても幸福だと言える人はこの平和な状態を喜び感謝できているからなのだと思います。

 この平和な状態に欠かせないのが愛ということになります。愛のある所に争いはないのです。愛とは相手のことを大切に思うこと。聖書には「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない」とあります。結婚式などで紹介されるのでお覚えの方もおられるでしょう。ニュースで伝えられる悲しい事件、その人間関係に「愛」がないといつも思わされもします。

 マザーテレサの言葉に「愛のために働けば、それはそのまま平和のために働いたことになります。」と。愛を持って、教職員がお互いに仕え合い、この愛を子ども達に言動をもって伝えていく。幼児教育に携わる私たちの働き、それは平和のため、人々が幸福になるための貴重な働きなのだとマザーの言葉に励まされるのです

 保護者の皆さんが愛をもってお子さんと接するその日々がお子さんを幸福にし、そのような一人ひとりが世の中に与えられることによって愛のある平和な社会が造られるのだとも思います。愛を忘れずに、愛を失わずに過ごしていきましょう。

2022年 7月

幼児期の集団での学び                 園長 佐竹和平

 日本には春、夏、秋、冬と四季があり、それぞれの季節にその良さがあります。梅雨が開け、7月、夏となりました。最近の日本の夏はその良さよりも、高温による熱中症の被害や、ゲリラ豪雨などによる自然災害などのマイナスの面が際立ってきています。しかし、幼稚園での生活では夏ならではのことを楽しみ、夏ならではの体験を子ども達にはしてほしいと願っています。

 ドレーパー記念幼稚園ではこの時期、園庭に川が造られます。日によっては1本ではなく、2本、3本の川が出現することもあります。水を流し、その水の流れに沿って土を堀り、川を作り、支流を作り、ダムをつくったり、土手を作って、道路に水が流れるのを止めたり。さながら、河川工事の様です。水に触れ、土に触れて遊ぶ子どもたちの姿がとてもまぶしく見えます。

 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(R・フルガム著)という本があって、その著書には、「何でもみんなで分け合うこと」「ずるをしないこと」「人をぶたないこと」「使ったものは必ず元のところに戻すこと」「散らかしたら自分で後片付けをすること」「人のものに手をださないこと」「誰かを傷つけたらごめんなさいを言うこと」「食事の前には手を洗うこと」「トイレに行ったらちゃんと水を流すこと」・・・。生きていく上で大切なことは大学で学んだのではなく、幼稚園時代の砂場での遊びなどを含めた生活の中で学んだものだったと書かれています。

 家庭とは違って、幼稚園は集団での生活になります。家とは違って順番により我慢しないといけないことや、年齢差や個体差による力関係によって我慢しないといけないことがあります。歌う時、絵を描く時、お祈りする時などみんなで一緒の行動をしないといけない時間があります。集団での生活には家とは違うルール、規範が自ずと必要になってきます。

 規範意識や世の中でのルールは一方的に教えられるものばかりではなく、自分が不快だと思う中で自らが気付き、また、他者の行動を見て、まねることによって習得しいくものもあります。そこに家庭では得られない、集団での学びがあります。一人ひとりの成長があるのです。

 年々、日本社会のみならず、世界全体が何か殺伐として、人間性が失われているような事件が起きたりもします。幼児期に保育者、保護者、社会がこの子どもたちの遊びを通じた学び、集団での学びをしっかりと確保できるようにし、人生に必要な知恵をしっかりと身に付けられるようにすることがとても大切なことのように思われてなりません。

2022年 6月

根っこを育てる                  園長 佐竹和平

 数年前からホールでも鉄棒ができるようになり、体操指導の成果もあって、鉄棒の上手な子が非常に増えている。「さかあがりできるから!見て、見て!!」と子ども達の大きな声。できる自分の姿を見てもらいたい、こういう純粋な子どもらしい姿に接することができるのがとてもうれしいです。

 自分のできることを誰かに認めてもらいたいという思いは「承認欲求」です。子どものみならず、大人にもあります。大人はなかなかこの承認欲求を現すことがことができずに、自分がどう評価されているか不安になったりもします。子どもは、純真なもので、ストレートに承認欲求を満たそうとします。この欲求が満たされると、とても満足感があり、精神的にも落ち着いた状態になります。

 ドレーパー記念幼稚園では「根っこを育てる幼稚園」という表現を使わせていただいています。根っこがしっかりと育ってないと、後で伸びることが出来ない、花を開き、実をつけることができません。花や実のことを焦って考えすぎずに、ドレーパー記念幼稚園ではこの根っこをじっくり、大切に育てますよという思いです。この“根っこ”とは何かというと教育的用語としては“自己肯定感”ということになります。自分は自分で良いという考えを持てるようになるということです。この自己肯定感を育むのに必要なことは、子どものことを認めてあげることです。子どもの承認欲求を満たしてあげることです。子どもの話を聞いてあげることです。子どもの姿を見てあげることです。今、この幼児期にこのことを理解し、子どもと丁寧に向き合うこと、根っこを育てることを心がけていきましょう。

 今月のカリキュラムのテーマは「探ってみる」です。幼児の生活には探ることが一杯あります。アリやダンゴ虫はどこにいるか。自分にあう遊びは何か。砂場に水をためても無くなってしまうのはなぜか。友達ができるのに私ができないこと、どうやったらできるようになるか。そういう、子ども自身の探っている姿を大人が邪魔をしないで、より深い探りに導けるような環境を造っていくことを大切にして6月を過ごしていきましょう。