園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2021年 12月

マリアからのメッセージ              園長 佐 竹 和 平 

 子どもたち、保護者の皆様とともにクリスマスを迎えることが出来る喜びに感謝します。幼稚園のクリスマスでは全園児でイエス様のお生まれになった時のことを劇にしたページェント「最初のクリスマス」を演じます。

 ページェントではまず、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、マリアが神様の子を生むことになると告げます。マリアは驚きましたが、神様を信じ、そのお告げを受け止めるのでした。マリアと夫のヨセフは人口調査を受けるために、産まれ故郷のベツレヘムの町に行きます。しかし、どこの宿屋も満員でした。ある宿屋が、馬小屋でよければ泊まれますよと案内してくれました。その馬小屋で神様の子イエス様が生まれたのでした。たくさんの星がイエス様の誕生をお祝いします。天使に教えられ羊飼いがお祝いにやってきます。導きの星を頼りに東の国から3人の博士がらくだに乗ってやってきます。博士たちは持ってきた宝物をイエス様におささげしました。馬小屋の前にはたくさんの羊たちもやってきて、イエス様をお祝いします。最後に馬小屋の前にみんなが集まり「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」と賛美の歌をささげてフィナーレとなります。この劇の進行はナレーターと聖歌隊の歌によって進んでいきます。

 保護者の皆さんもすでに神様からの宝物であるお子さんを授かっています。お子さん一人ひとり、それぞれが神様からの役割(賜物)を与えられてもいます。子どもは親の思い、保育者の思いを受けつつ、しかし、子ども自身はその自分自身が持つ成長する力、賜物によって育っていきます。そのこともあって、子育てにおいてはやれること、やるべきことをやっても上手くいかない場合もあります。親としては思い通りにならないと思うことも多くあるかもしれません。それは、その子が神様からいただいているその賜物をまだ私たちが理解していないからなのかもしれません。親が不安に感じたとき、それは子ども自身が悩み、苦しんでいるときかもしれません。

 神様の子を産むという天使のお告げをマリアが受け入れるところからページェントは始まります。マリアが神様の愛を信じたからです。子育てに不安を感じた時にはこのクリスマスのマリアを思い出して欲しいのです。神様が必ずその子を愛し、慈しんでいると信じ、その成長を神様に委ねる勇気が持てれば、子育ての不安が少しは軽減できるはずです。子育ては神様の愛を信じるところから始まるのだと、このクリスマスの時、マリアから送られる、2000年の時を超えてのメッセージに改めて思うのです。

2021年 11月

育ての心                  園長 佐 竹 和 平 

 以前の園だよりに記したことがあるのですが、身内の誉れなので再び記させていただきます。私の曾祖父、佐竹音次郎は日本で最初に「保育園」を作った人物として「保育の父」と呼ばれています。今から120年ほど前、佐竹音次郎は小児科医院を開院していましたが、いつしか孤児(親のいない子ども)を預かるようになり、その数が増えていく中で、自分が父親となって、妻がその母親となって、その子どもらを育て、共に生活をしていくことにしたのです。自分たちが父母なのだからこの子どもらはもう孤児ではない。そのような思いから当時一般的に使われていた孤児院という名称を使わずに、その施設を保育園と名付けたのです。「保育園」という言葉は佐竹音次郎の造語で子どもが“保(やすん)じて育つ園”ということ。保じてとは安心してという意味です。子どもが安心して、育つ園、これが日本における最初の保育園とされています。

 さて、私の曾祖父は「保育の父」と称されますが「幼児教育の父」と言われる人物がいて、その名は倉橋惣三(1882年~1955年)。日本の幼児教育に大きな影響を与えた彼の墓碑には、下記のような言葉が記されています。

  自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。

  世にこんな楽しい心があろうか。

「自ら育つもの」とは子ども自身のこと。子どもには育つ力が具えられています。それを育たせようとする親や教育者の心、このことを倉橋惣三は「育ての心」とし、この「育ての心」ほど楽しい心はないと言っています。

 子どもの成長は身体的に大きくなることだけではなく、出来なかったことが出来るようになる、知らなかったことを知るようになることです。愛情、喜び、悲しみ、共感などを知り心が広くなることです。実際の子ども同士の生活では、けんかもします、仲間はずれもします、悪口もいいます、うそもつきます。怪我をする、風邪やウイルス性の病気になったりもします。親の言うことを聞かないこともあります。このようなマイナスの体験も子どもにとっては次に同じようにならないための貴重なプラスの体験、成長につながります。自ら育つものである子どもにとっては一つひとつの快、不快の体験が大切なのです。このような体験を通じて子どもが育つということを知っている「育ての心」のある大人が周りにいれば、子どもは安心して育って行けるのだと思います。

2021年 10月

運動会と5領域                  園長 佐 竹 和 平 

 今年の運動会はコロナ過ということもあり競技数を減らしての開催とさせていただく。競技数を減らすについては園長が年中、年長のダンスを運動会では行なわないのはどうかと教師に提案しました。年中、年中はそれぞれパラバルーン、組み体操という表現競技があるので、その上にダンスもあるとなると練習時間の確保などで、そのほかの幼稚園生活にも何かと支障がでてきてしまう。ダンスの練習自体は子どもたちが楽しく取り組められればそれはそれで良いのだが、自由遊びの時間が全体的に制限されてしまう現実もあったのです。話し合いの結果、ダンスの教育的価値を鑑み、運動会でのダンスの発表はしないが、運動会後の活動としてダンスを行うことにさせていただいた。

 一般的に幼稚園の教育においては5領域とされるものがあって、これを通じて子どもの成長を導くものとされているものです。その一つひとつは生きて行くために幼児期に培っておくべき力とでもいえるものです。

  • 健康・・・健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活を作り出す力を養う。
  • 人間関係・・・他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人とかかわる力を養う。
  • 環境・・・周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもってかかわり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。
  • 言葉・・・経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。
  • 表現・・・感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。

 これら5領域は一つひとつを目的とするものではなく、子どもたちの集団での生活の中で自ずと関連し合っているものです。特に運動会に向けての活動はこの5領域が目に見えて関わってくるものとなっています。お子さんが参加された競技において5領域がどのように関わってるかぜひ想像してみてください。

 さて、運動会が終わり、これから、年中、年長のダンスや園児フェスティバルに向けての活動の中でこの5領域が上手く関連し合いながら子どもたちの成長が導かれることと思います。実りの秋となります。子どもたちの豊かな成長の実りを感謝と喜びを持って支えていきましょう。

2021年 9月

 心かよわせて            園長 佐 竹 和 平 

 

 園だよりではカリキュラムのページにその月の願いが記されています。このような思いを持ってこの月を過ごして欲しいというものです。4月の「ひとりひとりの名を呼んで」は入園、進級の月に名前を呼び合える関係性に気付いて欲しいという願い。神様が一人ひとりの名前を呼ばれていることに気付いて欲しいという願いがありました。5月は「動き出し」とあって、幼稚園の新しい環境に慣れてきた子どもたちが主体的に活動して欲しいという願い。6月には「やってみたい」とあって、興味、関心が広がっていくような環境の中で子どもが伸び伸びと活動できるよう。そして、1学期の終わりの7月には「心ゆくまで」とあって、一人ひとりの子どもが、それぞれの幼稚園生活をじっくりと、丁寧に過ごすことが出来るようにとの願いが示されていました。

 

 さて、2学期の始まりの9月のそれは「心かよわせて」とあります。なんか、演歌の歌詞にでてくるようなフレーズです。お互いに気持ちが通じ合う、お互いに思いが合うという意味となります。「神様と心かよわせて」「お友だちと心かよわせて」「親や教師と心かよわせて」「生き物や植物などの自然と心かよわせて」と心かよわせる対象は様々にあります。1学期の生活、夏休みを経てきた子どもたちの幼稚園での生活の深まりへの願いも込められています。

 2学期は運動会、園児フェスティバル、ページェントがあります。一人ではなくみんなでやるものです。友だち同士で励ましあい、教えあい、助け合い、そして競い合い・・・集団での生活ならではの経験を子どもたちはたくさんします。当日の仕上がりは良いに越したことはありませんが、大事なのはその過程で子どもたちが何を感じ、何を学んだかにあります。その過程においては意見や思いのすれ違いもあるでしょう。自分の考えと違う相手がいることに不満を覚える子もいます。しかし、大きな目的をみんなで共有し合い、少しずつ心をかよわせていく過程が子どもたちにとって大きな成長の経験になるのです。

 さて、私たち大人は心かよわす相手がいますか。家族の関係ではどうですか。特にお子さんと心がかよっていると感じておられますか。「はやくしなさい!」「しっかりしなさい!」「だから言ったでしょ」「なんでそんなこともできないの」 子どもには子どものペースや言い分、特性があるのに、一方的に大人の価値観を押しつけるこのような言葉がけでは子どもと心がかよわなくなります。子どもには子どもなりの自尊感情がありますから、それを傷つけていいわけがありません。できないことを責めるのではなく、できるようにサポートする、できるようになるまで待ってあげることで心がかようことになるのでしょう。

2021年 7月


見えないものに目を注ぐ            園長 佐 竹 和 平 

 キリスト教保育では聖書にある「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節)」から、見えないものに目を注ぐことが大切だとされています。なぜ、見えないものに目を注ぐのかはその後の聖書に記されています。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」とあります。目に見えるものは失ってしまうことがあるかもしれないけど、決して失うことのない目に見えない大事なものがあり、それを育てていくのがキリスト教保育の目的の一つにあります。

 ドレーパー記念幼稚園では毎日、ブログで子どもたちの幼稚園での様子を伝えるようにしています。2005年、私が幼稚園に勤めるようになってすぐに始めた取り組みで、子どもたちの楽しい幼稚園生活の様子を保護者の皆様にも伝えたいと思い始めたものです。当初は写真をブログに何枚も載せることが出来ませんでしたが、今は環境が整い多くの写真をアップすることができるようになっています。

 5月からコドモン(ICTアプリ)を通じて各クラスのドキュメンテーションを毎日、配信するようにしています。各クラスにカメラがあり、教師が子どもたちの生活の様子を撮り、それを使って写真付きで1日のクラスの様子、活動のねらい、結果、教師の感想をその日に保護者に伝えられるようにしています。担任教師にとっては大変な作業でもあるのですが、日誌とも連動しているので毎日、行なうことができています。

「見えないものに目を注ぐ」という言葉。この思いを持ってブログやコメントのあるドキュメンテーションの写真を見てみると、見えないものが見えてくるように思われます。そこにいる子どもは今、この時、どのような思いでいるのかを想像しながら写真をみるのです。

 諦めずに頑張る心は鉄棒の写真に見られます。お友達と協力して何かを成し遂げ喜ぶ心はカプラの写真に見られます。自然を愛する心は花への水やりの写真に見られます。お弁当をうれしそうに食べている写真には神様、保護者への感謝の心が見られます。意地悪な心やうまく自分が表現できなくて悔しい思いをしている心も時折、写真で見ることが出来ます。写真一枚を切り取って、そこだけを見てもわからないけど、そこまでに至る経緯にも目を向けると、その写真に成長、希望という大切なものが見えるときもあります。

 見えないものに目を注ぐ姿勢で子どもの写真を見てみると、子どもの写真にある、目には見えない、大切なものが見えてくるようになります。

 

 

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7月5日(月) この日の各クラスの様子

担任が毎日、保育終了後に保護者に配信しているものです。

 

年少ひよこ組

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年中ゆり組

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年中ばら組

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年長ほし1組

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年長ほし2組

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2021年 6月

 共に喜ぶ                   園長 佐 竹 和 平 

 ドレーパー記念幼稚園が所属していますキリスト教保育連盟の2021年度の年主題は「共に喜んで~すべての歩みの中~」となっています。この年主題が導かれる聖書の言葉は「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ12-20)」とあります。一つの部分とは一人ひとりの存在ということでしょう。苦しんでいる人と共に苦しみを分かち合いなさい。そして、共に喜び合うためには一人ひとりの存在を尊重しなさいということのようです。

 長引くコロナ禍によって、思うようにできないことも多くあります。ストレスがたまり発散できずにいます。人々の心が疲れています。個性の多様化が表出してきている一方でその多様性を認めるのに困難さを覚えている時代性もあります。一人ひとりの個性があるのに、その個性を認めないように、みな同じようにしていかなくてはならないような文化がいまだにあるのも現実です。このような時だからこそ、強い部分、弱い部分も含めてお互いの個性を認め合い、尊重し合い、共に喜ぶことが大切であるというメッセージです。副題として「~全ての歩みの中~」とあります。それは、良い時もある、嫌なときもある、喜べないような時もある。そういう全てのことも含めて「共に喜んで」欲しいとの願いです。

 子どもを育てる過程において、親の不安や悩みは尽きません。子どもがいくつになっても、親としては子どものことを気にかけ、その人生を心配するものです。また、親として子どもに願うことは、その場面場面で限りなくでてきます。楽しいとき、喜び、笑い合えるときはとてもうれしいものです。しかし、辛く、涙するときもあるでしょう。なぜこのようなことになるのか、なぜこんな辛い思いをしなければならないのかと。親であれば、子どものことで、悲しみ、苦しみと不安の中で眠りにつく経験はだれもがするでしょう。不安や悩みの中にいるのは親だけではありません。子ども自身がまさにその中にいる場合もあります。

 いつも喜んで、楽しく、幸せに過ごしたいと誰もが願います。しかし、残念ながら現実には苦しく、辛いときもあります。そのようなときに聖書に励まされるのがキリスト教なのです。苦難の時にこそ神様は必ず私たちと共にいてくださる。私たちの世界を創造された神様は私たちを愛しておられる。だから、今置かれているこの不安、悲しみの先に必ず神様は喜びをもたらしてくださると希望を持って生きていきましょう。

 

2021年 5月

のぶらはむのいえ                  園長 佐 竹 和 平 

 

 園庭のけやきの木にあるツリーハウスは、私の前の園長、鈴木伸治先生が2010年に退任される際に何か記念になるものをと考えて作った物です。ツリーハウスには名前があって「のぶらはむのいえ」と言います。今回、傷みが激しいので修繕をして頂こうと業者に依頼したのですが、けやきの木が伸び、幹が太くなり、それが柱や床を押上げたりで、特に3階部分は劣化が激しく、修繕ができずに撤去となり、2階建てとなりました。

 のぶらはむのいえには建築当初は2階への階段があり、簡単に2階に登れました。2階から3階へははしごがあって登りやすかったのです。しかし、あるとき、登りにくくした方が面白いのではと思い、階段とはしご部分を撤去したのでした。なかなか登れないので、登れた子は誇らしげにしています。ある男の子が「えんちょうせんせい、これじゃあ「のぶらはむ」じゃなくて「のぼれないはむ」だよ~」と。その子も諦めずに挑戦し続け、登れるようになりました。子どもは、ちょっと難しいことを用意してあげると喜んで挑戦します。出来るか、出来ないかではなく、まずやってみる姿があります。子どもの挑戦する姿をたくさんみることができる「のぶらはむのいえ」です。

 「のぶらはむ」の名前の由来を記しておきます。聖書には「アブラハム」という人が出てきます。神様を信じ抜いた人で、信仰の祖とも言われたりする人物です。新約聖書のマタイによる福音書の一番最初にはイエスキリストの系図というのが紹介されるのですが、その最初に出てくるのがこのアブラハムで、神様に用いられ137年を生き、多くの子孫を残したとされています。このアブラハム鈴木先生のお名前、伸治(のぶはる)を掛け合わせて、「のぶらはむ」としたのでした。

 鈴木先生は大塚平安教会の牧師でもありましたが、牧師と幼稚園の園長を2010年の4月に退任、当時、先生は70才でした。長きにわたっての教会の牧師、幼稚園の園長という使命を果たされたので、後はゆっくりと過ごされるはずでした。しかし、神様が鈴木先生をまだ用いるのでした。マレーシアにて海外駐在の日本人のための教会の牧師として半年間の赴任。横浜にある教会の牧師、その付属の幼稚園の園長を1年。また、招かれては多くの教会での日曜日の説教を担うのです。六浦にあるご自宅を教会として、今も礼拝を捧げ、説教をされているのです。そして、この度、3年間勤められた伊勢原にある幼稚園の園長をこの3月に退任されたとのお手紙をいただいたのです。     神様の命に従い、まさに聖霊の力に押しだされるように神様の福音を子どもたち、人々へ述べ伝えて来られた鈴木先生の存在とその尊いお働きが「のぶらはむのいえ」の名前で思い出されるのです。

 

のぶらはむのいえの前にて、鈴木先生ご夫妻。

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こちらは、利用開始の日のブログ

 

draper.hatenablog.com