園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2021年 7月


見えないものに目を注ぐ            園長 佐 竹 和 平 

 キリスト教保育では聖書にある「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節)」から、見えないものに目を注ぐことが大切だとされています。なぜ、見えないものに目を注ぐのかはその後の聖書に記されています。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」とあります。目に見えるものは失ってしまうことがあるかもしれないけど、決して失うことのない目に見えない大事なものがあり、それを育てていくのがキリスト教保育の目的の一つにあります。

 ドレーパー記念幼稚園では毎日、ブログで子どもたちの幼稚園での様子を伝えるようにしています。2005年、私が幼稚園に勤めるようになってすぐに始めた取り組みで、子どもたちの楽しい幼稚園生活の様子を保護者の皆様にも伝えたいと思い始めたものです。当初は写真をブログに何枚も載せることが出来ませんでしたが、今は環境が整い多くの写真をアップすることができるようになっています。

 5月からコドモン(ICTアプリ)を通じて各クラスのドキュメンテーションを毎日、配信するようにしています。各クラスにカメラがあり、教師が子どもたちの生活の様子を撮り、それを使って写真付きで1日のクラスの様子、活動のねらい、結果、教師の感想をその日に保護者に伝えられるようにしています。担任教師にとっては大変な作業でもあるのですが、日誌とも連動しているので毎日、行なうことができています。

「見えないものに目を注ぐ」という言葉。この思いを持ってブログやコメントのあるドキュメンテーションの写真を見てみると、見えないものが見えてくるように思われます。そこにいる子どもは今、この時、どのような思いでいるのかを想像しながら写真をみるのです。

 諦めずに頑張る心は鉄棒の写真に見られます。お友達と協力して何かを成し遂げ喜ぶ心はカプラの写真に見られます。自然を愛する心は花への水やりの写真に見られます。お弁当をうれしそうに食べている写真には神様、保護者への感謝の心が見られます。意地悪な心やうまく自分が表現できなくて悔しい思いをしている心も時折、写真で見ることが出来ます。写真一枚を切り取って、そこだけを見てもわからないけど、そこまでに至る経緯にも目を向けると、その写真に成長、希望という大切なものが見えるときもあります。

 見えないものに目を注ぐ姿勢で子どもの写真を見てみると、子どもの写真にある、目には見えない、大切なものが見えてくるようになります。

 

 

 //////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 

7月5日(月) この日の各クラスの様子

担任が毎日、保育終了後に保護者に配信しているものです。

 

年少ひよこ組

f:id:draper:20210711114854j:plain

f:id:draper:20210711114901j:plain



年中ゆり組

f:id:draper:20210711114912j:plain

f:id:draper:20210711114917j:plain



年中ばら組

f:id:draper:20210711114933j:plain

f:id:draper:20210711114938j:plain




年長ほし1組

f:id:draper:20210711114949j:plain

f:id:draper:20210711114953j:plain




年長ほし2組

f:id:draper:20210711115002j:plain



 

2021年 6月

 共に喜ぶ                   園長 佐 竹 和 平 

 ドレーパー記念幼稚園が所属していますキリスト教保育連盟の2021年度の年主題は「共に喜んで~すべての歩みの中~」となっています。この年主題が導かれる聖書の言葉は「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ12-20)」とあります。一つの部分とは一人ひとりの存在ということでしょう。苦しんでいる人と共に苦しみを分かち合いなさい。そして、共に喜び合うためには一人ひとりの存在を尊重しなさいということのようです。

 長引くコロナ禍によって、思うようにできないことも多くあります。ストレスがたまり発散できずにいます。人々の心が疲れています。個性の多様化が表出してきている一方でその多様性を認めるのに困難さを覚えている時代性もあります。一人ひとりの個性があるのに、その個性を認めないように、みな同じようにしていかなくてはならないような文化がいまだにあるのも現実です。このような時だからこそ、強い部分、弱い部分も含めてお互いの個性を認め合い、尊重し合い、共に喜ぶことが大切であるというメッセージです。副題として「~全ての歩みの中~」とあります。それは、良い時もある、嫌なときもある、喜べないような時もある。そういう全てのことも含めて「共に喜んで」欲しいとの願いです。

 子どもを育てる過程において、親の不安や悩みは尽きません。子どもがいくつになっても、親としては子どものことを気にかけ、その人生を心配するものです。また、親として子どもに願うことは、その場面場面で限りなくでてきます。楽しいとき、喜び、笑い合えるときはとてもうれしいものです。しかし、辛く、涙するときもあるでしょう。なぜこのようなことになるのか、なぜこんな辛い思いをしなければならないのかと。親であれば、子どものことで、悲しみ、苦しみと不安の中で眠りにつく経験はだれもがするでしょう。不安や悩みの中にいるのは親だけではありません。子ども自身がまさにその中にいる場合もあります。

 いつも喜んで、楽しく、幸せに過ごしたいと誰もが願います。しかし、残念ながら現実には苦しく、辛いときもあります。そのようなときに聖書に励まされるのがキリスト教なのです。苦難の時にこそ神様は必ず私たちと共にいてくださる。私たちの世界を創造された神様は私たちを愛しておられる。だから、今置かれているこの不安、悲しみの先に必ず神様は喜びをもたらしてくださると希望を持って生きていきましょう。

 

2021年 5月

のぶらはむのいえ                  園長 佐 竹 和 平 

 

 園庭のけやきの木にあるツリーハウスは、私の前の園長、鈴木伸治先生が2010年に退任される際に何か記念になるものをと考えて作った物です。ツリーハウスには名前があって「のぶらはむのいえ」と言います。今回、傷みが激しいので修繕をして頂こうと業者に依頼したのですが、けやきの木が伸び、幹が太くなり、それが柱や床を押上げたりで、特に3階部分は劣化が激しく、修繕ができずに撤去となり、2階建てとなりました。

 のぶらはむのいえには建築当初は2階への階段があり、簡単に2階に登れました。2階から3階へははしごがあって登りやすかったのです。しかし、あるとき、登りにくくした方が面白いのではと思い、階段とはしご部分を撤去したのでした。なかなか登れないので、登れた子は誇らしげにしています。ある男の子が「えんちょうせんせい、これじゃあ「のぶらはむ」じゃなくて「のぼれないはむ」だよ~」と。その子も諦めずに挑戦し続け、登れるようになりました。子どもは、ちょっと難しいことを用意してあげると喜んで挑戦します。出来るか、出来ないかではなく、まずやってみる姿があります。子どもの挑戦する姿をたくさんみることができる「のぶらはむのいえ」です。

 「のぶらはむ」の名前の由来を記しておきます。聖書には「アブラハム」という人が出てきます。神様を信じ抜いた人で、信仰の祖とも言われたりする人物です。新約聖書のマタイによる福音書の一番最初にはイエスキリストの系図というのが紹介されるのですが、その最初に出てくるのがこのアブラハムで、神様に用いられ137年を生き、多くの子孫を残したとされています。このアブラハム鈴木先生のお名前、伸治(のぶはる)を掛け合わせて、「のぶらはむ」としたのでした。

 鈴木先生は大塚平安教会の牧師でもありましたが、牧師と幼稚園の園長を2010年の4月に退任、当時、先生は70才でした。長きにわたっての教会の牧師、幼稚園の園長という使命を果たされたので、後はゆっくりと過ごされるはずでした。しかし、神様が鈴木先生をまだ用いるのでした。マレーシアにて海外駐在の日本人のための教会の牧師として半年間の赴任。横浜にある教会の牧師、その付属の幼稚園の園長を1年。また、招かれては多くの教会での日曜日の説教を担うのです。六浦にあるご自宅を教会として、今も礼拝を捧げ、説教をされているのです。そして、この度、3年間勤められた伊勢原にある幼稚園の園長をこの3月に退任されたとのお手紙をいただいたのです。     神様の命に従い、まさに聖霊の力に押しだされるように神様の福音を子どもたち、人々へ述べ伝えて来られた鈴木先生の存在とその尊いお働きが「のぶらはむのいえ」の名前で思い出されるのです。

 

のぶらはむのいえの前にて、鈴木先生ご夫妻。

f:id:draper:20210507084031j:plain

 

こちらは、利用開始の日のブログ

 

draper.hatenablog.com

 

2021年 4月

わたしからあなたへ              園長 佐 竹 和 平 

 財津和夫さん作詞作曲による「切手のないおくりもの」。その歌詞の出だしは「わたしから、あなたへ♪」で始まります。とても流行った曲なので合唱などでも歌ったことのある方もおられるかも知れません。4月、新学期になって、この曲のこの出だしだけが園長の頭の中で歌われています。

 社会にあって、人は一人では生きていけません。人と人との繋がりのなかで、関係性の中で生きています。私だけではなく、あなたもいるのが社会なのです。私の人生、私の考え、私が正しいと思うことがあります。一方、あなたの人生、あなたの考え、あなたが考える正しいことがあります。しかし、顧みて思うことは人はいかに「私目線」で、物事を考え、話し、行動しているかということです。そして「あなた目線」を蔑ろにしているのではないかとういことです。「わたしからあなたへ♪」を頭のなかで歌いながら、「私目線からあなた目線へ」、あなたを思いやることを忘れずに過ごして行きたいと改めて思っています。

 ドレーパー記念幼稚園はキリスト教保育連盟に所属しており、カリキュラム(教育課程)はこの連盟の資料に基づいて決められます。4月の主題は「ひとりひとりの名を呼んで」となっています。入園式の日には新入園の子、進級の子が担任から名前を呼ばれました。年長さんから一人ひとり名前を呼びます。呼ばれたことに対して「はい!」の返事をそれぞれの方法でする年長の子どもたち。年長の次は年中さん、年少さんです。新入園の子もいます。新入園の子は名前を呼ばれて、手を挙げて返事をするという経験をしたことの無い子もいたことと思います。でも、初めての経験ながらできてしまう子もいます。他の子がやっているのを見て、真似してできるのです。これが集団での学びの一つの成果です。

 幼稚園では子ども同士、教職員とのたくさんのかかわりの中で様々な体験をしていきます。その一つひとつが子どもにとっては初めてのことです。初めてなので上手くいかないこともたくさんあります。でも、経験がないから上手くいかないだけです。1回、2回、3回と出来なかったとしても、その出来なかった経験も積み重ねて、いつのまにかできるようになるのです。保護者の皆さんは焦ることなく、お子さんをよく見て、お子さんの気持ちに寄り添い、頑張っている姿を褒めて、励ましつつ過ごしていきましょう。

 楽しい幼稚園生活を通じてお子さんの豊かな成長が導かれます。その成長を保護者、教職員とが共に喜びあえるよう願っています。

 

 

切手のないおくりもの # 財津和夫 - YouTube

 

 

2021年度 教職員

f:id:draper:20210413103051j:plain

 

2021年 3月

希望をもって                  園長 佐 竹 和 平 

 新型コロナウイルスに翻弄されたこの一年でした。不要不急の外出を控える、テレワーク、ステイホーム。この一年はお家で、家族だけで過ごす時間が多かったことでしょう。この貴重な時間を喜んで過ごすことのできている家族もある一方、残念ながら楽しく、喜んで過ごすことができない家族もいるようす。一緒にいる時間が長くありすぎてかえってイライラするといったこともあるようです。そんな家族の中で過ごす子どものことを思っていたら、子育てに関する本として世界的なベストセラーの「子どもが育つ魔法の言葉」を思い出しました。

 この本の最初には「子は親の鏡」という詩が紹介されていて、この詩に基づいて、子どもが幸せになるには親、家族はどうしたら良いのかを教えてくれる本です。この機会に少し紹介させていただきます。

 親と子どもとの関係においては親は子どもをけなさない、馬鹿にしない、叱りつけてばかりいないとあります。子どもの日々の生活する様子、朝起きてこない、ご飯を食べない、夜寝ない、だらしない、行動が遅い。そんな場面があるかもしれませんが、子どもをけなしたり、馬鹿にしたり、しかりつけてその状態が改善されることはありません。そのような時こそ、親は子どもを励まし、誉め、愛し、認めて、見つめてあげることが必要です。親自身のことでは親が不安な気持ちで子どもを育てない、他人を羨んでばかりいない、正直に生きる、子どもに公平に接するとあります。子は親の鏡ですから、親の姿のままに子どもは育ちます。

 詩の最終節に『和気あいあいとした家庭』が大切とあります。そのような家庭で育つと子どもは、『この世の中はいいところだと思えるようになる。』とあります。家族そろって会話のはずむ食卓を囲んでいるイメージがわいてきます。みなさんの家庭はいかがですか。

 3月のカリキュラムのテーマは「希望をもって」とあります。年長児は幼稚園を卒業し小学生になります。不安な気持ちもたくさんある一方、新しい環境に期待に胸を膨らませている子どもの姿があります。年少、年中の子たちはそれぞれ進級し年中、年長になります。バッチの色、あのお兄さん、お姉さんたちが着けていたバッチの色にあこがれを持っています。小さい子が入園してきたらお世話してあげようと思っている子もいます。

 卒業、進級するそれぞれの子どもたちがどのような環境にあっても「希望をもって」過ごして欲しいと願っています。

2021年 2月

つながる  ~愛~             園長 佐 竹 和 平 

 2月の主題は「つながる」となっています。幼稚園で「つながる」と言えば、場所の移動の時に年少のひよこ組さんが電車になって、つながって移動する場面があります。  

 おもちゃの電車やミニカーを連結させたりの遊びもあります。これは物理的(空間的)なつながりということになります。他には時間的なつながりもあります。毎日の積み重ねがあって、今日の1日があります。一年前はイスに座って人の話を聞くことができなかった子どもたちが、一年経って、イスに座って人の話を聞けるようになっています。入園当初は自分の言いたいことも言えませんでした。少しずつ自分の言いたいことが言えるようになって、更に、他の子の意見とも調整をつけられるようにまでなっている姿があります。突然に今日の姿が現れるわけではありません。つながっているのです。昨日があって今日があり、今日があって明日があります。時間的なつながりは成長の姿を現しもします。

 

 さて、もう一つの「つながり」は精神的なつながりとなります。心と心のつながりです。お互いが信じ合うことです。キリスト教ではこのことを「愛」と言います。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」と聖書(ヨハネによる福音書15章)に記されています。イエス様はご自分のことをぶどうの木にたとえ、私たちにこのぶどうの木につながっていなさいとおっしゃいました。「人がわたしにつながっており」で物理的なつながりを示し、「わたしもその人につながっていれば」で精神的なつながりを示し、最後の「その人は豊かに実を結ぶ」で時間的なつながりを示しました。「豊かに実を結ぶ」までのつながり合うことの大切さを表しています。

 幼稚園では一年の終わりに、保護者、教職員による文集「ぶどうの木」を毎年、発行しています。タイトルは上記の聖書箇所によるものです。ぶどうの木は子どもと保護者と教師、幼稚園の今までのつながりを確認し、その成果を喜びあうものにもなっています。何年かして、お子さん自身が大きくなり、ご自分でその文集を開くときが来るかも知れません。そのときに改めてお子さん自身がつながりを、愛を再確認するかも知れません。時を経て、ぶどうの木がつながり、愛を蘇らせるのです。とても素敵なことだと思います。

ドレーパー記念幼稚園は多くの実をもたらす、つながり、愛を大切にしたいといつも願っています。

 

 

 

2021年 1月

あなたと共にいて、あなたを守って下さる神      園長 佐 竹 和 平 

 

 昨年の暮れにドレーパー記念幼稚園の設立時、草創期に大変なご尽力をいただいた乙幡(おつぱた)義子(よしこ)先生が92年のこの世での生涯を終えられ天に召されたとの知らせがありました。義子先生は当時の大塚平安教会の乙幡和雄牧師の婦人で、幼稚園設立時の園長となられた方です。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、あなたを守る。」

 この言葉は義子先生が親しんだ聖書の箇所、創世記28章15節です。イサクの子、ヤコブが大きな過ちを犯し家族から逃亡し悲嘆に暮れ、荒野で石を枕にして寝ていた際の夢に神が現れて言われた言葉です。神様はあなたが罪を犯して苦しんでいるとき、病気と闘っているとき、逆境のなかにあって悲しんでいるときはもちろん、喜びの時、神なんか必要ないと思い上がっているような時にも、共にいてくださって、守ってくださるとの何とも心強い、神様の恵みに満ちた言葉を伝えている個所です。

 幼稚園設立時のことを振り返っておきます。1961年、今から60年前の4月に大塚平安教会に聖書神学校を卒業したばかり、まだ30歳に満たない乙幡和雄牧師が義子婦人とともに赴任して来られました。教会は当時、礼拝出席者が13名程度の小さなものでした。その教会が幼稚園を設立しようと既に決めていたのです。乙幡牧師は牧師として教会に赴任してきたのであって、幼稚園をやるために来たのではないと・・・当初は幼稚園設立に反対。一時は牧師辞任まで決意されましたが、様々な方々のご助言、神様のお導きもあって幼稚園設立に向けて尽力するようになりました。園舎はありません、園庭もありません、お金もありません、教師はいません。しかし、開園は翌年の4月と決定されています。そのような厳しい状況のなかで幼稚園設立に向けて奮闘する牧師を婦人として支えつつ、ご自身は当時、町田の幼稚園で教諭としてお働きだったので、その見識から新しく設立する幼稚園の教育方針を牧師、初代主任となる有村節先生(故人)とともに考えられたのです。設立時から心身に障害を持つ幼児を受け入れるなど60年前の当時としては画期的な取り組みもされています。多くの皆様の協力を得てなんと、当初の予定通り1年後、1962年4月10日に最初の入園式が行われました。義子先生はその日を妊娠9か月目で迎えたのでした。この日から教会の礼拝堂を教室として、53名の園児からなるドレーパー記念幼稚園の愛に満ちた生活が始まったのでした。

 聖書は神様の愛を示してくださる書物です。年初にあたって、天に召された義子先生から「あなたと共にいて、あなたを守って下さる神」が示されました。子どもたちにこの神様の愛を、あなたは神様に守られている大切な存在であることをしっかりと伝えていくことの大切さを改めて決意するものです。

 

f:id:draper:20210113134409j:plain

最初の入園式の日。左は主任教諭の有村節先生(故人)、右が義子先生。

 

 

f:id:draper:20210113134510j:plain

旧園舎の定礎の日に。石板を持っておられるのが乙幡和雄先生。

その右隣りで乳児を抱えておられるのが義子先生。

 

f:id:draper:20210113134655j:plain

最初の卒業生の記念写真。