園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2020年 1月

環境を造る              園長 佐 竹 和 平 

 

 園だよりの毎月のカリキュラムの中にある【願い】とは、このような経験を子どもたちにしてもらいたいという願いであり、教師はこの願いが叶えられるような環境を造っていく必要があります。「環境」というのは幼児教育における重要な用語で、文部科学省の定める幼稚園教育要領には「幼児教育は幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うもの」と示されています。ここで言う「環境」とはその子の周りにあるもの全てです。園庭ではブランコやすべり台などの備え付けの遊具、スクーターやシャベルなどの遊具、砂場、土、水、木、花、動物、太陽、霜柱や氷・・・。 室内ではピアノ、机、おもちゃ、壁面、絵の具、クレヨン、ねんど、絵本・・・。環境の中には人(友だち、異年齢の子ども、保護者、教師)も含まれます。かけっこ、歌、礼拝、お弁当なども幼児教育の中では環境です。

 カリキュラムに関わらず教師はその日、そのクラス、その季節、その気候を考慮し、子どもが育っていく過程において必要な体験ができるような環境を造ることを心がけていますが、その月、その時期にあったものとして月ごとの「願い」があり、1月は下記の4つが示されています。

  • エスさまのなさったわざやたとえ話を聞く中でイエスさまを身近に感じる。
  • 好きな遊びを心ゆくまで楽しみ、ものごとや深く関わることが面白くなり、それが喜びとなる。
  • 健康な生活をするために、必要なことを自分からする。
  • 伝承遊びを楽しみ、ことばや数を遊びの中で使うことが面白くなる。

 さて、これらの願いを子どもたちに経験させるために、どのような環境が造られていくのでしょうか。①は合同礼拝で語られる聖書の話となるでしょうか。子どもの話を聞く力も求められますね。②は継続して遊び込める環境が求められます。時間的制約により分断されることがあっても、精神的、物質的な継続でカバーできると良いですね。朝の自由遊びの時間を大切にしたいですね。③は特に冬の時期には大切です。うがい、手洗いを習慣化すること。着る物を自分で調整できるようになることも大事です。④はお正月遊びのかるたやすごろくで遊ぶことを通じて言葉や数に親しみます。

 さて、三学期がはじまりました。今年の幼稚園の年間の保育日数は197日。内訳は一学期が71日、二学期が75日、三学期が51日となっていて三学期は一番短いのです。一日、一日を大切に、子どもたちの園生活が楽しいもの、有意義なものとなるよう教職員一同力をあわせてまいります。

2019年 12月

クリスマスの喜び            園長 佐 竹 和 平 

 4月から始まった今年度の幼稚園生活も8か月が過ぎ、まもなく2学期の終了となります。行事も多く、様々な経験を通して成長が導かれた2学期でもありました。幼稚園の生活でいつの間にかできることが多くなっている子どもたちの姿を見かけることができるこの時期でもあります。そのできることを「見て、見て~」と言ってくる姿も多くあります。

 

 幼稚園の大きな行事でもあるクリスマスに向けての園児の活動が始まりました。。クリスマスは神が私たちに下さった最高のプレゼントであるイエスの誕生を喜びあう時期です。それと同時に神がイエスを通じて世の人々に伝えたかったことを多くの人に伝えて行くときでもあります。なぜ、神は自らの子としてイエスをこの世に贈ったのでしょうか。それは、神ご自身が造った世界に住む人々の心が荒れすさんでいるのを悲しみ、イエスが救い主となって世の中を良くできると神が考えたからです。

 

 幼稚園のクリスマスでは全園児でイエスのお生まれになった時のことを劇にしたページェント「最初のクリスマス」を演じます。ページェントではまず、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、マリアが神の子を生むことになると告げます。マリアは驚きましたがそのお告げを受け止めるのでした。マリアと夫のヨセフは人口調査を受けるために、産まれ故郷のベツレヘムの町に行きます。しかし、どこの宿屋も満員でした。ある宿屋が、馬小屋でよければ泊まれますよと案内してくれました。その馬小屋で神の子イエスが生まれたのでした。たくさんの星が神の子イエスの誕生をお祝いします。神の使いである天使に教えられ羊飼いがお祝いにやってきます。導きの星を頼りに東の国の博士たちはらくだに乗ってやってきます。博士たちは持ってきた宝物をおささげしました。馬小屋の前にはたくさんの羊たちもやってきて、お祝いします。最後にみんなで「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」を賛美して終了となります。この劇の進行はナレーターと聖歌隊の歌によって進んでいきます。

 

 ドレーパー記念幼稚園では設立された年からずっとクリスマスにはページェントが全園児によって行われてきています。全園児一人ひとりに役割があり、その一つひとつの役割を大切なものとしてきました。どんな役でも、どんな子どもでも一人ひとりが大切だというメッセージでもあります。虐待やいじめ、貧困のなかで悲しく、辛い思いをしている子どもが社会には多くいます。一人ひとりが大切な存在です。救い主イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と話されました。クリスマスのこの時期、一人ひとりを大切な存在としたイエスのこの言葉を改めて胸に刻みたいと思います。そして、一人ひとりの子どもの幸せを、みんなで祈りたいと思います。

2019年 11月

共感する             園長 佐 竹 和 平 

「せんせい~じゃんけんしよう~。ぼく、チョキだすからせんせい、グーだして~!」 と、今年の子どもとのじゃけん遊びはちょっと変わったものになっています。このまま素直に私がグーを出すと、子どもはチョキではなく、パーを出して園長に勝って喜ぶというもの。単に勝ち負けを決めるのではなく、会話を楽しむじゃんけんです。年長さんを相手にするときは、更に発展させ・・「エンチョーがグーを出したら、○○くんはきっとチョキじゃなくてパーを出してくるから、エンチョーはチョキを出して勝とう!」と小さい声で言うと・・ちゃんとそれを踏まえて子どもはグーを出してきて、園長に勝って喜ぶというものです。

 じゃんけんはとても簡単な遊びですが、この遊びができるようになるには様々な能力が必要です。グー、チョキ、パーを手で作れること。「じゃんけんぽーん」のリズムに合わせて相手と同時にその手を出せること。そして、グー、チョキ、パーの力関係が瞬時に解るようになること。幼稚園入園前の子にはじゃんけんはできません。幼稚園での活動を通じて、じゃんけんができるようになっていくのです。手遊びや工作で手を自由に手を動かせるようになり、歌や楽器演奏を通じてリズム感を得る。グー、チョキ、パーの力関係を理解するには、なぜだろう?どうしてだろう?を何度も経験して培う思考力と判断力が必要です。じゃんけん遊びには子どもたちの成長の姿が現れてもいるのです。

 さて、11月のカリキュラムのテーマは「共感する」となっています。共感とは、辞書によると「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。」とあります。

  赤ちゃんはお腹が空いておっぱいが欲しいときやオムツが濡れ不快なときに泣きます。親が疲れていようが、眠かろうがお構いなし。自分の欲求を満たすため、生きていくために泣きます。親はそのことに気づき(共感)、おっぱいをあげたり、オムツを替えます。赤ちゃんは共感してもらい、欲求が満たされて満足し、幸せになります。もし、親が赤ちゃんの欲求に共感できない、気付くことができなかったとしたらどうなるでしょうか。赤ちゃんは自分自身の存在を認められず悲しい時を過ごすことになります。

 幼児期、学童期に限らず大人でも人に共感してもらうことによって自分自身の存在を良いものとして受け止めるようになるのです。子どもによっては親が理解に苦しむような欲求を持っていてして、にわかに共感できないことも出てきます。「なんでこんなことするの?」「なんでこんなもの欲しがるの?」「なんでこうしないの?」。しかし、子どもは共感して欲しい、わかって欲しいと思っているのです。子どもの思い、考えをくみ取り、共感することによって、子どもに幸せ、満足感を与えられるようにしていきましょう。

2019年 10月

よごれて洗って・・                  園長 佐 竹 和 平 

 幼稚園教育要領に示されている「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」は3つの力に分類することが出来るようです。

体を使う力 

「健康な心と体」「自然との関わり・生命尊重」「豊かな感性と表現」

考える力 

「思考力の芽生え」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」

人と関わる力 

「協同性」「道徳性・規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「言葉による伝え合い」

 これらの力が育まれ、発揮されるのが幼稚園の運動会です。例えば年長さんのリレーは「健康な心と体」だけではなく、勝つためには「思考力の芽生え」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「協同性」「言葉による伝え合い」が必要ですし、勝ったり、負けたりする中では「道徳性・規範意識の芽生え」が育まれます。

 運動会を通じて一人ではできないこと、みんながいて、協力しあうからできることを楽しめるようにもなります。運動会を終えて、見せること、見てもらうことの楽しさ知った子どもたちの姿があります。友だちと一緒に遊ぶことの楽しさを知った子どもたちの姿もあります。その楽しさを味わうために自分の気持ちや考えを相手に伝えます。思いが通じるときもあれば、通じない時もあります。集団での毎日の生活の中でこうした経験を積み重ねていくことで、生きる力、人生の土台が培われていきます。

 「よごれて洗って よごれて洗って。 いい感じになりなさい。」久しぶりに良い言葉に出会った感じです。「もう、ぬげない」「ぼくのニセモノをつくるには」「おしっこちょっぴりもれたろう」「それしかないわけないでしょう」などの絵本で人気のヨシタケシンスケさんのエッセイ本に載っていた言葉です。

 子どもを見ていると、よごれたがる姿が多くあります。しかし、大人(保護者)は子どもがよごれるのを嫌がります。洗わないといけないからです。「よごれる」ことは成長段階の子どもにとってはとても大切です。よごれたら洗う。よごれたら洗う。これが子どもの成長、子育てなのかもしれません。毎回、大人が洗うわけではありません。自分自身で洗うこともたくさんあります。大人からみれば失敗に見えることも、子ども自身にとっては挑戦の結果かもしれません。いい感じに成長させるためにも、親の顔色をうかがって、よごれること(挑戦すること)をしなくなるような子ども時代を過ごさせないようにしたいものです。子ども自身の持っている「やってみたい!」という気持ちを大切にしましょう。やってみて、失敗し、よごれたって洗えばよいだけなのですから。

2019年 9月 やってみたい

やってみたい                      園長 佐 竹 和 平 

 この度、学研より「佐竹音次郎物語~万人の父になる~」という本が出版されました。佐竹音次郎というのは私の曾祖父です。今から120年余り前、私の曽祖父、佐竹音次郎は鎌倉の腰越で小児科医院を開院していました。時代や土地柄というものがあったのか、いつしか孤児を受け入れ、その数が増えていく中で、自分が父親となってその子どもらを育て、共に生活をしていくことにしたのです。自分が父親なのだから、この子どもらはもう孤児ではない。そのような思いから当時一般的に使われていた孤児院という名称を使わずに保育院と名乗ったのです。「保育」という言葉は佐竹音次郎の造語で“保(やすん)じて育つ”ということ。保じてとは安心してという意味です。佐竹音次郎はその後、キリスト教と出会います。その教え、人を分け隔て無く愛することの大切さを自分自身の行いによって広めていこうとの決意を持って、医業の傍らで行っていた保育院を改め、「保育園」として、本格的に福祉事業に取り組み、身寄りの無い子どもたちの父としてその生涯を送ることにしたのです。保育園とは子どもたちが保んじて育つ、神様から備えられた園というという名称で、これが日本で最初の保育園となりました。佐竹音次郎が存命中に関わった子どもたちの数は、国内外で1万人を超え、11,153人にもなったのでした。現在、佐竹音次郎の出身地である高知県四万十市では佐竹音次郎を「保育の父」として顕彰し、その思いを子どもたち、地域社会に伝えようと活動をされている方たちがおられます。

http://otojiro.link/

 

ニュースでは虐待によって幼い命が奪われたとの報道が後を絶ちません。また、戦争によって生活の不安が脅かされている人々や貧困によって安心して暮らすことが出来ない子どもたちはたくさんいます。子どもが育つ環境、保育において安心は何よりも大切なことです。安心して食べられる、安心して眠れる、安心して遊べる。親、大人、地域社会、国家がこのような安心を全ての子どもに備えなければならないと改めて思わされます。

さて、今月のカリキュラムのテーマは“やってみたい”となっています。子どもたちにはやってみたいことがたくさんあります。「えんちょうせんせい、なにやってるの~?」子どもたちから言われることの多い言葉です。私が何か作業をしていると近寄ってきて、その作業をやりたがります。やってみないと気が済まないと言ってもいいかもしれません。子どもにやらせると、時間がかかったり、手間が増えたり、危なかったりします。しかし、子ども自身が持つ、やってみたいという主体的な気持ちは子どもの成長にとってとても大切なものです。子ども自身が持つ“やってみたい”に大人が丁寧に寄り添いつつ日々を過ごせたらと願っています。

 

f:id:draper:20190906165430j:plain

 

2019年 7月 試す

試す                   園長 佐 竹 和 平 

 こんなにダンゴムシが活躍している年は今までになかったかと思います。男の子に限らず、女の子もダンゴムシを探し、捕獲し、カップに集め、自慢げに見せに来てくれます。ダンゴムシはどこにいるのか。人目に付きにくいとこ、湿気のあるところ・・子どもたちはいつの間にか、ダンゴムシがよくいる場所がわかるようになっています。家にダンゴムシを持って帰ったりする子も多くいますが、環境が変わってカップの中の乾燥した中ではすぐに死んでしまいます。子どもたちは、ダンゴムシと言っていますが、中にはワラジムシもいます。ワラジムシはダンゴムシのように丸くはなりません。お腹に赤ちゃんのいるダンゴムシもいます。脱皮をしているダンゴムシもいたりします。小さな生き物、大人は目もくれない、気持ち悪がるような小さなムシを通じて子どもたちは心を動かし、好奇心や探究心を持ってダンゴムシを見つめつつ、自然への関心、愛情を育んでいるようです。

 7月のカリキュラムのテーマは「試す」となっています。挑戦する気持ちを育みたいという思いです。多くの経験をしてきた大人と違って、子どもの毎日には今までやったことの無いことが多くあります。初めてだからこそ、すぐに「試す」子もいれば、初めてなのでなかなか「試す」ことができない子もいます。「試す」のは大人(教師)から言われたことをやる場合もありますし、自分で気づいたことを「試す」場合もあります。どちらも大切なものです。幼稚園は子どもの「試す」という気持ちを引き出し、育むために教師が保育を行っていると言っても良いほど「試す」ことは大切です。保護者の皆さまにも同じ気持ちになっていただきたいと思っています。何しろ自分自身で「試す」ことをしないと経験が増えていきませんからね。

 子どもの「試す」を引き出し、育てるのに大切なのは今、その子どもはどんな気持ちでいるのかということです。どうやったら良いのかの説明も聞かずに「試す」子もいます。ほかのお友だちがやっているのを見て「試す」子もいます。遊んでいる中で、製作をしている中でこうしたらもっと良くなると気づいて自分から「試す」子もいます。書き出したらきりがありませんが、日常のすべての動作が「試す」から始まるものです。今年から行っている保育のドキュメンテーションでは製作やクラス活動、子どもたちの日常の生活が記録されていますが、その中には子どもたちの「試す」姿が多く記録されています。結果だけではなく、その過程、「試す」ことの大切さがよくわかります。目の前にあるモノ・コトに対して今、子どもはどんな気持ちでいるのかを見極め、焦らずに、先回りして口出ししないように、しかし、必要な後押しはできるようにしたいものです。

 間もなく、梅雨も明けて本格的な夏の暑さがやってくるでしょう。皆様が健康に過ごされますようお祈りしています。

2019年 6月

関わり合う                       園長 佐 竹 和 平 

 面白いことに年少ひよこ組、年中のゆり組、ばら組の担任による6月の園だよりでは、それぞれが子どもたちのけんか、トラブルについて書き記しています。けんか、トラブルが多くなってきているのでしょうか。6月のカリキュラムのテーマは「関わり合う」となっていますが、幼稚園生活にも慣れ、友だちと関わり合うことが出来るようになって、けんかができるようになったともいえます。

 子どもたちは新しい環境の中で自分のしたいこと、やれることが増えています。楽しいこと、お気に入りの遊び、遊具があります。しかし、そこには同じ思いを持った友だちがいて、思うようにできないときがあります。また、時間的な制約があることもあります。やりたいけど、やれない葛藤です。この思い、葛藤と折り合いをつけるのが成長でもあります。大きくなるにつれて葛藤は増えていき、複雑にもなっていきます。人、物、仕事、お金、時間、場所など、関わり合うすべてのことに、しかも複雑に葛藤が生まれます。ですから、子どもが葛藤と戦っているその時を保育者、大人は心に余裕を持って見守れるようでありたいと思います。大切な成長の時、学びの時なのですから。

 さて、幼稚園では6月にはキリスト教の行事の一つでもある花の日があります。きれいな花を咲かせてくださる神様に感謝する日です。幼稚園ではこの神様への感謝の気持ちを多くの人と分かち合えるように、年長さんが地域の病院、施設、お店や交流のある人を訪ね、お花を届けにいきます。一人でも多くの人が花を美しいと感じる心、その花を育ててくださる神様に感謝する気持ちを持てれば、わたしたちの暮らすこの社会はもっとよくなると思います。ニュースでは悲しい出来事が多く報道されています。そのようなものに接するたびに、社会との葛藤に押しつぶされてしまい、花を美しいと思う心の余裕を持てないで、その花を育ててくださる神様の存在に感謝することが出来なくなっている人が増えているように思えてなりません。

 聖書にはイエスさまが「空の鳥を見なさい、野の花を見なさい」と言われている場面があります。(新約聖書マタイによる福音書6章)。人に飼われていない空の鳥にも、神様は必要な食べ物を与えて下さっています。道端に咲く野の花も、神様はきれいに咲かせてくださいます。それでは神様は人間に対しては何をしてくれているのでしょうか。神様は、私たちに対して、鳥や野の花以上に心を配ってくださり必要なものを与えて下さっています。しかし、私たちはそれを当たり前と考えて、それに気がつかないで日々を過ごしているようです。だから、花の日のように改めて花の美しさに感じつつ、神様に感謝する日が必要なのです。自然との関わり合いを通じて、神様との関わり合いを通じて、子どもと一緒に花の美しさを喜び合える6月となるよう願っています。