園だより 園長からのメッセージ

毎月、発行している園だより 園長からのメッセージ

2019年 3月

聖句暗唱

 幼稚園の毎朝の礼拝では各月ごとに示されている聖書の言葉、おはようブックの左ページのリトルジョイの絵の下に記されている月ごとの聖句をみんなで声をそろえて言うのです。これを聖句暗唱といいます。この一年、どのような聖句があったか、お子さんと一緒にぜひ、読み返してみてください。

4月 わたしは よみがえりです いのちです

5月 なんとさいわいなことでしょう あなたのいえに すむひとたちは

6月 わたしたちは たがいに あいしあいましょう

7月 ひかりの こどもとして あゆみなさい

8月 あなたのわかいひに あなたのそうぞうしゃを おぼえよ

9月 へいわをつくるものは さいわいです

10月 わたしはぶどうのき あなたがたは えだです

11月 しゅは あなたを まもるかた 

12月 ひとりのみどりごが わたしたちのために うまれる

1月 かみは よろこんで あたえるひとを あいしてくださるのです

2月 しゅよ おはなしください しもべはきいております

3月 いつまでも のこるものは しんこうと きぼうと あいです

 

 イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで子どもたちが育てられ、今の時を喜びと感謝をもって生き、

そのことによって生涯にわたる生き方の基礎を培い、

共に生きる社会と世界をつくる自律な人間として育っていって欲しいこのような願いがキリスト教保育の子ども観です。

 

 毎日の聖句暗唱で、この思いが少しずつ、少しずつ、子どもたちの心と体に行き渡っていったと信じています。

 いよいよ2018年度のドレーパー記念幼稚園の生活も終わりが近くなってきました。年長のほし組さんは幼稚園を卒業し、4月からは小学校へ進学、年少、年中は進級となりそれぞれ新しい環境の中での幼稚園生活となります。どのような環境の中にあっても、神様の祝福とお守りをいただいて、安心して生活ができるようにとお祈りしています。

 

2019年 2月

遊びを通じて子どもは何を学んでいるのか         園長 佐 竹 和 平 

 朝の園庭での外遊びの時間に年中の男の子に「園長先生・・新しいゴミ捨て場作るから来て~」と声をかけられた。連れて行かれたのは鉄棒の前。そこにゴミ捨て場つくるというので、その子は穴を掘り始めた。こういう遊びは面白い。一人で始めた遊びでも夢中になって、楽しそうに遊んでいると友だちが関わってきます。そうすると違ったアイデアも出てきたりして遊びが更に深まります。最初は穴だけだったのが、そこに入れるゴミ、ゴミを収集する人、物が必要になったりするのです。意見を出し合い、創意工夫をして共に遊びを造り上げていくことになります。こういう遊びを通じて子どもたちは多くのことを学び、成長していきます。子どもが主体的に自由に遊ぶことができる、自由に遊びを選び取ることができる環境、文化、雰囲気が幼稚園にあると子どもは安心して遊べるようになるのです。

 幼稚園教育要領には幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿というものが記されていて、遊びを通じて成長して欲しい姿が具体的に記されています。わたしたち大人が気付くことができないこともあるほど、子どもは遊びを通じて多くのことに気づき、学んでいるのです。この自分で気づいて、自分で考え、自分で行動した経験がその後の人生における生きる力の基となるのです。

                                       

 

幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿

  • 健康な心と体  
  • 自立心  
  • 協同性  
  • 道徳性・規範意識の芽生え 
  • 社会生活との関わり  
  • 思考力の芽生え  
  • 自然との関わり・生命尊重  
  • 数量・図形、文字等への関心・感覚  
  • 言葉による伝え合い 
  • 豊かな感性と表現

  

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 写真は2月4日(月)の朝。コーナー遊びで大繩を行っているときのものです。楽しそうに遊んでいる姿ですが、この遊びをするために既に習得している姿もあり、また、この遊びを通じて習得するものもあります。子どもたちはこの遊びを通じて何を学び、何を習得しているのでしょうか。上記の10の姿の何に当てはまるか保護者の皆さまにも考えていただくと、遊びに関する理解が深まるかと思います。

2019年 1月

Draper Forever Project              園長 佐 竹 和 平 

 幼稚園、保育園業界を取り巻く環境が大きく変わりだしています。社会的には少子化となっています。少子化ですが、保護者の就労環境の変化、社会的ニーズもあって、保育園入所の待機児童問題があります。保育園が不足しているとされ、この地域でも新しい保育園がここ数年でいくつか設立されています。一方で幼稚園はどうなっているのかと言うと10年前は300人を超す園児がいたような園が、今や200名を下回るような状況にある幼稚園がこの地域には多くあります。少子化なのに保育園の定員は一杯で、一方で幼稚園は定員割れしているという状況です。

 そのような中、2019年、今年の10月より、幼稚園、保育園の保育料の無償化という方針が国の施策で決まっています。少子化対策、保護者の子育て支援策の一つでもあります。消費税が現行の8%から10%になり、その増税分でこの無償化の予算を捻出することになっています。現状でも世帯収入、家族構成により保育料が無償化や半額になっている世帯もあり、どこまで、この保育料の無償化が少子化対策子育て支援に有効かは疑問の声もあります。その予算があるならもっと他の部分での支援が必要ではないかとの意見もあります。幼稚園業界としては、この無償化により、保護者の保育園志向がさらに進み、幼稚園が衰退することを懸念しています。幼稚園がその豊かな保育環境を持って質の高い保育を行い、保護者のニーズに応えていけるかが試される一年です。

 今までと同じ事をしていては時代の変化、環境の変化に対応できず、幼稚園は廃れていってしまうかもしれません。そうならないために、これからもドレーパー記念幼稚園がこの地にあって必要とされ、存続していけるようにするためのプロジェクト、Draper Forever Project (略称:Dプロ)を考えて見ました。 Dプロの基本方針は下記の4つです。

  • 楽しい幼稚園生活を通じて子どもたちの成長を導く
  • 多様化する保護者の子育て支援ニーズに対応していく
  • 子どもたち、保護者に神様による愛と恵み、イエスキリストの福音を伝えていく
  • 教職員の処遇(働く環境、研修制度)を良くし、質の高い保育が出来るようにする。

 この基本方針に沿って園運営を行い、今以上に子ども、保護者、教職員にとって良い環境を創造しつつ、理想とする園児数を保ち、この地域に幼稚園を存続させていくのがこのDプロの目的です。そのために、子ども、保護者、教職員、地域社会の中にある問題、課題を丁寧に拾い上げ、必要に応じて対策を立てて、解決に向けて行動していきます。

 2019年も、神様の祝福とお守りをいただいて、子どもたち、保護者の皆様の楽しい幼稚園生活が導かれるよう願っています。本年はいつにもまして保護者の皆様の協力をお願いすることもあるかと思います。ドレーパー記念幼稚園がこれからも、この地にあって必要とされ、存続していけるようにするため、引き続きご理解とご協力をお願いします。

2018年 12月

ありがとうございました 角田敏太郎さん          園長 佐 竹 和 平 

 幼稚園設立の発案者である大塚平安教会会員の角田敏太郎さんが11月29日に86年の生涯を終え、天に召されました。この機会に角田さんを覚え、記しておきます。

角田さんは昭和23年、16歳の時に勤務中に重体となる事故にあいます。何と機関車に引きずられてしまったのです。入院、手術を経て職場復帰をするも、身体障害の身となり、歩行が困難となりました。将来に対する不安を持ちながら日々を過ごしていました。そのような不安を抱えている中、昭和27年、19歳の時に勤務先の厚木駅で見ず知らずの若い女性から「駅員さん、あなた教会に行きたいのではありません?」と声をかけられました。翌日、その女性の案内で厚木基地の中にある教会に出席したところ、説教も讃美歌も英語でよく分からない。よくわからないけど、愛情に満ちた優しいソフトな雰囲気の教会に感じるところがあり、日本の教会を紹介してもらい大塚平安教会に来るようになったと角田さんの著書「神に牽引されて」に記されていました。

 

 その角田さんが大塚平安教会に導かれ、イエスキリストの福音、互いに愛し合うこと、困っている人がいたら助けることをを多くの人に伝えるために幼稚園を設立すべきと訴えたのです。今の大塚平安教は多くの信徒がいて立派に見えるかもしれませんが、当時の教会は礼拝に出席する人は13人の小さな群れでした。教会自体は小さな小屋のようなものでした。幼稚園を造るような土地もありません。資金もありません。そのような小さな群れ、弱気群れが幼稚園を設立し、現在に至っているのです。その発案者の見識と原動力に多いに感謝せざるを得ないのです。

 病まなければ ささげ得ない 祈りがある

 病まなければ 信じ得ない 奇跡がある

 病まなければ 聞き得ない み言葉がある

 病まなければ 近づき得ない 聖所がある

 病まなければ 仰ぎ得ない 御顔がある

 おお! 病まなければ 私は人間でさえあり得ない    河野進「病まなければ」

 

 人はこの世に生を受けて時が来れば必ず死を迎えます。その過程においては病や苦難、逃れることの出来ない絶望の窮地があります。しかし、そのような中にあっても、神様の救いは必ずあると角田さんはその本の中で訴えておられます。

 12月、クリスマスです。イエスキリストは多くの悩める人、苦しんでいる人を救うために神様からこの世に使わされました。その誕生を祝うのがクリスマスです。この喜びを一人でも多くの人と分かち合えるようにと願っています。

 

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前列、一番左の男性が角田さん。定礎の石板を持っておられるのが初代園長、乙幡和雄先生、その右にて赤ちゃんを抱えておられるのが乙幡義子先生。

後列、左端の男性が現園長の父(佐竹正道(故人))。

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幼稚園園舎落成式記念の日

2018年 11月

神様の恵みに感謝の秋                  園長 佐 竹 和 平 

 11月21日(水)に行う園児フェスティバル向けて、子どもたちが活動しています。自分たちは何をするのか、そのために何をしなければいけないのか。自分たちで考え、意見を出し合い、自分たちで決める。そして、決めたことに向かってみんなで協力しあう。幼稚園教育要領に示されている主体的な活動の中から多くの学びをしている子どもたちです。

 保護者の皆さんは11月23日(金・祝)に開催のマルシュに向けての活動がいよいよ本格的になってきています。2年前にバザーの名称をマルシュと変えさせていただきました。バザーは収益を目的としますが、ドレーパー記念幼稚園のマルシュは収益を第一の目的にしないようにとの思いがあったからです。収益よりも大切なものは“ふれあい”ということになるかと思います。準備をする過程で保護者の皆様どうしのふれあいが増すことになるでしょう。また、マルシュ当日は在園児とその家族、教職員、卒業生、卒業生の保護者、教会の方々、地域の方々と多くの方がこの幼稚園に来てくださいます。今年のマルシュも多くの皆様方の交流が図られるふれあいの場となるよう願っています。

 さて、11月、実りの秋、収穫の秋、感謝の秋です。キリスト教の暦では11月の第4日曜日に収穫感謝記念礼拝が持たれてます。17世紀初頭に新天地を求めてイギリスからアメリカに入植した人々が収穫を得られたこと、厳しい環境の中で生き長らえることが出来たことを神に感謝して礼拝を行ったことがその起源となっています。

 わたしたちの日々の祈りは、今日の日が与えられていること、健康が守られていることなど、一般的な事象に関して感謝することが多くあります。収穫感謝の祈りは目の前に現実に見える野菜や果物を通して、神様に感謝するのですから子どもにもわかりやすいです。このようなわかりやすい感謝の祈りから、目には見えないものへの感謝の祈りも大切に出来るようにと願っています。

 人は往往にして無い物、持っていない物を数えて嘆き、欲望を持ちます。しかし、今、与えられている恵みに気づき、感謝できれば心に平安が訪れるのではないでしょうか。

 命ある自分、その自分が生きていられるように環境を整えてくれる家族、楽しく一緒に過ごす友人・・・神様から与えられている恵です。美味しい食事、寝る布団、着る服、青い空、雨の日、畑のお野菜、道端に咲くかわいいお花・・神様の恵にあふれています。 

 私たちの人生そのものが神様の恵によるものでもあります。恵みと言っても人生には楽しいときばかりではなく、辛く厳しいときもあります。しかし、神様からの恵ですから人生は良いものに決まっています。辛く厳しいと思われるときがあったとしても、それは後に幸せになるために神様から与えられた乗り越えられる試練なのです。今あるすべてを神様から与えられた恵として受け止め、神様に感謝しつつ毎日を過ごしていきましょう。

2018年 10月

                        園長 佐 竹 和 平 

 久しぶりに山登りがしたくて高尾山に行ってきました。高尾山は標高599メートル、山中には薬王院があって、観光客、参拝客で賑わいがあります。この参道に「十善戒」という仏教の教えが書かれていて興味深く読ませていただきました。

  • 不殺生(ふせっしょう) むやみに生き物を殺さない。あらゆる生命を尊重しよう

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  • 不偸盗(ふちゅうとう) 盗みをしない。他人のものを尊重しよう

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  • 不邪淫(ふじゃいん) 男女の道をはずさない。お互いを尊敬しあおう

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  • 不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。正直に話そう

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  • 不綺語(ふきご) 心にもないきれい事を言わない。よく考えて話をしよう

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  • 不悪口(ふあっく) 悪口を言わない。優しい言葉を使おう

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  • 不両(ふりょう)舌(せつ) 二枚舌を使わない。思いやりのある言葉を使おう

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  • 不慳貪(ふけんどん) 欲張らない。惜しみなく施しをしよう

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  • 不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。にこやかに暮らそう

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  • 不邪見(ふじゃけん) 誤った見解を持たない。正しく判断しよう

 これは帰って来て調べたことなのですが、この十善戒は不で始まるので意味は否定、「〜しない」になります。ですが、参道で見たその解釈はすべて肯定のもの「〜しよう」 でした。(右側のゴシック部分)。肯定の前向きな言葉だったから、私も興味深く読み、心に入ってきたのだと思います。
 
 子どもとの生活に限らず、何かと否定形の言葉、禁止の言葉がついでてしまいます。しかし、否定の言葉より肯定の言葉の方が伝わりやすいのです。「してはいけない」ことを伝えるためには、例えば「大きな声をださない」と言うより、「静かにしよう」と言い換えた方が相手には伝わり、大きな声をださなくなるるということです。つまり、「してはいけないこと」を伝えるのではなく「して欲しいこと」を言う方が相手には伝わるということです。
 
 親の言葉が子どもの言葉になると言われています。親が日本語なら子どもも日本語になります。親が肯定的な言葉を使っていると、子どもも肯定的な言葉を使うようになることになります。「いいね」「大丈夫」「ありがとう」なども現状を肯定する言葉です。そんな言葉が行き交えば良い親子関係が築いていけそうです。

2018年 9月

キリスト教保育の願い 5)        園長 佐 竹 和 平 

 8月にキリスト教保育連盟神奈川部会の研修会が横浜にある捜真学院で行われ、全教職員で参加させていただいた。午前中は礼拝と幼稚園教育要領の「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」についての学びの時が与えられ、午後は5名程度のグループに分かれて話し合いの時がもたれた。私の割り当てられた園長のグループの中で、ある園長がこのような発言をされて、その討議の口火をきりました。

「わたしたちは“一人ひとりを大切にする保育”をしているでしょうか」

“一人ひとりを大切にする”という表現はキリスト教主義の保育施設に限らずに使われている表現です。わたしたちは“大切にする”の意味をもう一度再確認しなければならないとの思いを提起してくださったようです。

わたしたちキリスト教保育が考える“大切にする”とは“愛する”ということです。子どもは神様から命を与えられ愛されているかけがえのない存在です。子ども一人ひとりの存在をどこまでも愛し続ける必要を改めて教えてくださったのでした。

イエス・キリストは子どもを祝福し抱き上げました。
親子の間で悲しい事件を耳にすることもあります。
キリスト教保育が保護者のみならず地域社会の中にあって子どもを愛すること、子育ての喜びを表して行かなければなりません。
    
 はきだめに えんど豆咲き  泥池から 蓮の花が育つ
 人皆に 美しき種あり  明日 何が咲くか
   (安積得也)

 これは息子の通っていたキリスト教主義の高校内にある石碑に記されていた「明日」という詩です。神様は一人ひとりに美しい種を与えてくださっており、美しい花、素敵な実を咲かせてくださる。そのときを喜びと期待をもって待ちましょう。といった意味になるでしょうか。
子どもを愛すること、子育ての喜びが現れている素敵な詩です。

今月もキリスト教保育連盟によるキリスト教保育のねらいを紹介します。
 
5)子どもが、自然や世界を神による恵みとして受け止め、
  関心を持ち、自分たちのできることを考え、行うようになる。

自然や世界、動植物の命の源を神様の恵みであるという価値観は純粋な心を持った幼児期にこそ身につけて欲しいとの思いがあります。神様の恵みに感謝した上で、その恵みを守るために、育てるために何が出来るか、人間の使命のようなものまで考えて、行動ができるようになって欲しいという願いです。とてもスケールの大きなキリスト教保育の願いです。